<ほけんの窓口レディース 初日◇11日◇福岡カンツリー倶楽部 和白コース(6,292ヤード・パー72)>
「ティグランドに立てると思うと笑いが止まりませんでした。多くのギャラリーの方々に囲まれて、あっという間の18ホールでした」。昨年9月の「マンシングウェアレディース」以来のツアー復帰を果たし、1アンダーで初日を終えた大山志保は笑顔を見せた。
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ここに立つまで本当に苦しかった。昨年9月に発症した頸椎椎間板ヘルニアのため、オフの期間はリハビリに終始。状態を見つつ、3月の「PRGRレディス」での復帰を目指して準備を進めていたが、ラウンドを開始しようとした2月28日に痛みが再発し、出場を断念。3月末に地元・宮崎で開催された「アクサレディス」でも復帰を画策したが、結局痛みが引かず叶わなかった。
悪いことは重なるもの、とよく言われるが、大山の状況がまさにそれだった。2月の上旬に母が体調を崩すと、「とても大好きな人。いつも応援に来てくださっていました」という知人男性2人が、2月の中旬に相次いで亡くなった。さらには、相棒として「いつも止めてくれたり、背中を押してくれたりした」というデイナキャディの母も体調を崩し、アメリカに帰国。さらにデイナ氏の弟が亡くなり、今年はデイナ氏がそばにいない状況で戦わざるを得なくなった。
それでも不屈のガッツウーマンはくじけなかった。「怪我には負けたくない。私のゴルフはここで終わりじゃない」とゴルフができない状況でも懸命にリハビリを続けた。お世話になった人たちへ恩返しを。その想いも大山の支えとなっていた。「絶対に復帰すると約束していました。そして何度も何度も励ましてくれる。絶対に約束を果たそうと」。辛く苦しい時期を振り返る大山の目には涙が浮かんでいた。
「復帰を目指している最中に“引退したほうがいいよ”と言われたこともあって。それはちょっとショックでしたね。私は“まだまだこれから”だと思っていますから。パターだっていい感じに打てているし、アプローチだって成長できているので」。40歳を超えてなお上を目指す日本の不死鳥。もしもゴルフを辞めるとしたらどんなときですか、と聞かれ、「う〜ん」としばし悩んだ後、「もう動けなくなったときですかね」と締めくくった。(文・秋田義和)
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