「2位に7打差の単独首位で最終日を迎えて勝てなかった選手は一人もいない」――そんな米ツアーの記録は、2位に7打差の単独首位でザ・プレーヤーズ選手権最終日を迎えたウェブ・シンプソン(米国)にとって、「だから安泰」という太鼓判にはならず、むしろ「その記録を覆して負けたら…」というプレッシャーになっていたのだと思う。
【動画】ウッズ ザ・プレーヤーズ選手権での猛チャージの一幕
3日目に「65」をマークして猛チャージを見せたタイガー・ウッズ(米国)とは、それでも11打の差があった。だが「10アンダーだって出せていた」と真顔で3日目のラウンドを振り返ったウッズが、その言葉を最終日に現実化する可能性はもちろんあった。実際、ウッズは最終日も次々にバーディを奪って、足踏みしていたシンプソンに忍び寄った。
シンプソンが逃げ切るか、それともウッズが追いつくか。2つの可能性の分岐点はシンプソンのパーパットがカップに蹴られた8番あたりで訪れた。10番でもボギーを喫し、ウッズとの差は5打まで縮まった。シンプソンの表情はみるみる硬くなっていった。
だが、その直後、今度はウッズの表情が硬くなっていった。14番でパーパットがカップに蹴られてボギーを喫すると、16番ではバーディチャンスを逃し、浮き島グリーンの17番では池に届かず、ダブルボギー。ウッズの大逆転優勝は夢と化した。
「残り4、5ホールで、なんとかしてウェブに追いつきたかったが、そうはならなかった。ウェブは、すべてにおいて、本当にいいプレーをしていた」
ウッズ失速と入れ替わるように、シンプソンは安定感を取り戻し、72ホール目は2打目を池に入れてダブルボギーを叩いたが、それでも2位に4打差を付けて勝利。復活優勝に向かって勢いづくウッズを振り払ったシンプソンにとって、この勝利は米ツアー通算5勝目、そして4年ぶりの復活優勝となった。
2011年に年間2勝を挙げ、2012年には全米オープン制覇。翌年さらに1勝を挙げ、トッププレーヤーへの階段を駆け上っていたシンプソンだが、2016年にアンカリングが禁止され、武器だったロングパターをレギュラーパターに持ち替えてからは成績が振るわなかった。
そんなシンプソンをロープの内外で支えてきたのは、7年以上もタッグを組み続けているキャディのポール・テソリだ。2014年に生まれたテソリの長男はダウン症と診断され、誕生直後はテソリもテソリの妻も試行錯誤の連続で、数か月間、バッグを担ぐことができなかった。シンプソンはそんなテソリに夜な夜なメールを送り、励まし続けたそうだ。
それから2年後、パターを持ち替えたシンプソンがパットに苦しみ始めてからは、今度はテソリがシンプソンを励ましてきた。「こうして優勝できたこと。すべてはポールのおかげだ」。
そして、もう一人、忘れてはならないのはシンプソンの愛妻ダウドの存在だ。
「妻は、いつどんなときも、僕をポジティブに支えてくれた」
ウイニングパットを沈めた瞬間、満面の笑みで拍手し、夫に駆け寄ったダウド。両腕を広げて受け止め、抱きしめたシンプソン。長い長いハグが、2人の想いを物語っていた。
昨秋、最愛の父が天国へ旅立ち、シンプソンの心にぽっかりと大きな穴が開いた。だが、この日、ノース・カロライナの自宅では最愛の母がテレビの前にかじりつき、一生懸命に息子を応援していた。「ゴルフは、ときとしてミステリーだ」。シンプソンは自身の突然の復活優勝を、そう表現していたが、彼が良き仲間、良き家族に支えられ、想いを共有しながら努力と忍耐を続けてきたことを思えば、この日の復活優勝は、決してミステリーではない。私には、そう思えてならない。
文・舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)
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