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「心が死んでいた…」 有村智恵が語った低迷時の心境

<サマンサタバサ ガールズコレクション・レディース 最終日◇15日◇イーグルポイントゴルフクラブ(6,588ヤード・パー72)>
6季ぶりの優勝を果たした有村智恵。ツアー14勝目をその手につかんだが、2012年の「日本女子プロゴルフ選手権 コニカミノルタ杯」で13勝目を挙げて以降は、長く、そして苦しい日々の連続だった。そのときの心境を本人はこう語る。
【写真】インタビュー中に大粒の涙を流す有村智恵
12年に行われた予選会を通過し、翌年から米国女子ツアーに参戦した有村。しかし、本人が「低迷の1番の原因」と話した11年の左手首負傷の影響もあり、思うような結果を残すことはできなかった。特にこの年の10月は、「一番苦しかったとき」と有村は明かす。
「忘れもしないです。この年の10月に韓国で行われた試合(LPGA KEBハナバンク選手権)は本当に苦しかった。何をやっても球が思い通りに飛ばず、完全に心が折れていました。試合会場に行くのもつらかった。練習場に行くときにも体が動かないし、外にも出られなかった」
トータル19オーバーで、下から4番目となる75位に終わったこの大会では、「ラウンド中に、あんなに涙が出るのは初めてでした」とさまざまな感情があふれ、押しつぶされそうになった。このころの心境を有村はこう表現する。
「信じても、期待してもがっかりすることばかり。そのうちがっかりな気持ちにも心が動かされなくなりました。心が死んでいました」
そんなどん底から救ってくれたのが、尊敬する東北高校の先輩・宮里藍だった。「そのとき(2013年)は藍先輩だけには、相談もしていて。そしたら、私のことを気遣ってくれて、『ありのままの、あなたが好きよ』といってくれて…、それで救われました」。そう話すと言葉をつまらせ、目からは涙が流れた。
「アメリカツアーは楽しかった。それに、ここで日本に戻ってもあまり結果は変わらないかな」とその後も米国ツアーに留まったが、それでも成績を残すことはできず、米参戦の終盤には下部ツアーでの試合も経験した。だが意外にも、レギュラーツアーに出られなかった日々を「今思い返すと、日本ではできない経験もできて、楽しかった記憶が多い」と話す。知らない人の家にホームステイしながら、自分でバッグを担いで、カートを引きながらのプレーも強いられながら、こんな感情を抱いたという。
「結果が出ないなかで、『ゴルフの結果を出せない自分に何の存在意義や価値があるのか』と思っていました。でも、そこでは見ず知らずの日本から来たゴルファーを受け入れてくれる人がたくさんいて。ゴルフをしていない私でも受け入れてくれる人がいるというのを教えてくれた」
その後16年には、迷いはあったものの故郷・熊本を襲った震災がきっかけとなり日本復帰を決意。しかし、そこから復帰後初優勝までも2年の時間を要した。見事復活を遂げたこの日も、18番ホールを終えたときにふと「誰かがバーディを獲って、また勝てないんじゃないか…」という不安がよぎったという。だからこそ、実際に優勝トロフィーを掲げたとき、こう思った。「苦しくて長い日々がやっと終わる」。2135日ぶりの優勝が、有村を縛りつけていた呪縛から解き放った。(文・間宮輝憲)

<ゴルフ情報ALBA.Net>

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