昨シーズン、「サマンサタバサレディース」で6年振りとなる優勝を挙げた有村智恵。米ツアー撤退後の苦しい時期を乗り越えて復活、有村智恵物語の第二章の幕開けとも言うべきシーズンとなった。一方で2019年はプレーヤーズ委員(協会内の選手会とも言うべき組織)の委員長として、いち選手としてだけでなく、選手の代表としての手腕も問われることとなる。そんな注目の31歳に思いを語ってもらった。今回は委員長になった理由について。
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−今年、プレーヤーズ委員の委員長になられました。なぜ委員長になろうと?
立候補と他薦で決まったのですが、私はずっと委員長をやったことがなくて。以前から声はかけて頂いてましたが、アメリカに行ったり、シード権がなくて常にツアーにいられる保証がなかったので、なかなかやることができなかったんです。
でも今年はシードもあるし、「年齢的にもそろそろやっておかないと」という部分がありました。あとは自分なりに、アメリカのツアーも見てきて、やはり今の女子ツアーに対して思うこともたくさんあります。それをうまくいい調和を取れるように、まずはプレーヤーズ委員会に入って、もっと勉強したいな、と思いました。詳しいことを勉強してからじゃないと、いろんな発言はできない。それで、まずは一回やってみようかなと思いました。
−米ツアーのいい物は取り入れて、日本のいい物は残して、というかたちでしょうか
自分が一番感じているのは選手の意識ですね。どうしても今は恵まれ過ぎているところがあるので…。私もそうですが、今の選手は恵まれた状態のツアーしか知らない世代ともいえます。ツアーには私の下の世代しかいないということは、もうほとんどが“試合がない時代”を知らない世代といえます。試合がなくなることに対する恐怖心もなければ、危機感も同じようにあまりない部分が多分あると思うんです。
ですが、私がアメリカに行った時はまだ今みたいに試合数が30試合以上ある、という状態ではなかった。努力して発展させようとしている時代でした。だから、選手からも多くの様々な意見が出されたり、コミッショナーともすごく話し合っていて。選手の意識が違うなというように感じました。
もちろん、それは環境が影響する部分も大きいと思うし、日本の選手が悪いというわけではないですが、当時はとても感銘を受ける部分が多かった。当然、若い時はゴルフに集中しなければいけないと思います。ただ、私たちくらいの世代の選手が姿勢を見せることで、他の下の選手が少しでも考えてくれるようになったり、気付くことがあればいいなと思います。
−去年起こった放映権問題の中では、協会と選手とで齟齬(そご)があるように感じました。双方がもっとコミュニケーションがとれるような組織に、という考えはありますか?
そうですね。昔の話をするのもあれですけど、私たちがプロの世界に入ったころは、まだ20代の選手と30代の選手と40代の選手とって本当に良い感じで世代間で話し合える環境がありました。ですが、ここ10年近くで急激な世代交代があって、もう今はシード選手の平均年齢が26歳と言われている。ツアー全体で考えると25歳以下の選手がすごく多くて、その選手たちが協会の方々と話し合うのはどうしても難しい部分があると思うんですよね。
多くの選手は高校を卒業してすぐプロになるので、この世界しか知らないで生きている。いろんな社会を見ていらっしゃって、いろんなビジネスであったり仕組みを分かっていらっしゃる協会の方々と、“選手”しか知らない私たちの意見というのが、なかなか折り合いがつかないというのは当たり前のこと。なので、私たち30代の選手がどのように緩和していくか、というのは、ここ数年の課題でもあるんです。
もしかしたら、そのうち30代、40代の選手もいなくなってしまうかもしれない。そんなツアーになった場合に、どうやって25歳あたりの若い選手と協会の方々がうまく会話ができるようにやっていけるのか。そこは今後考えてあげないといけない部分かなと。いろいろとやっていけたらなと思っています。
−選手スローガンは『団結 みんなで世界一のツアーに』 この言葉に込めた思いは?
まずは、来年東京五輪があるので、このツアーから世界一の選手が出てほしいという思いがあります。もう一つは、私自身もアメリカのツアーを見て、日本の今の環境は本当に世界に誇れるものだと思いますし、協会の方々も、未来に向けていろんな改革をして下さっている。一致団結して協会の方と選手はもちろん、周りの関係者の方々など、本当にいろんな方々の手を借りないと自分たちのツアーは成り立たないので、そういった方々の手を借りながら、世界一のツアーを目指していけたら、という思いを込めました。
有村智恵(ありむら・ちえ)/1987年11月22日生まれ。熊本県熊本市出身・日本HP所属。東北高校卒業後の06年にプロテスト合格。09年に年間5勝を挙げるなど、国内通算13勝を挙げる活躍を見せて12年に米ツアーに参戦した。しかし、米国では苦戦を強いられ、本格参戦4年目の16年途中に国内ツアーに復帰すると、18年の「サマンサタバサレディース」で6季ぶりの復活優勝。19年は選手としてだけでなくプレーヤーズ委員長としてもツアーを牽引する。
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