アジア最大のゴルフフェアが横浜市で開幕。初日となった22日(金)、会場の特設ステージで「第7回日本プロゴルフ殿堂入り式典」が行われ、レジェンド部門の佐藤精一、小林法子、プレーヤー部門の中嶋常幸と森口祐子の4名が登壇した。
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中嶋はAON(青木功、尾崎将司、中嶋)としてしのぎを削った青木から、森口祐子はライバルであり目標と定めた樋口久子から顕彰状とクリスタルトロフィーが渡された。だが、壇上で見せた“好敵手同士”の姿はあまりにも好対照だった。
先に登壇した森口は、挨拶の冒頭で「大先輩の樋口さんから、このようなかたちで(顕彰状を)渡される日が来るなんて夢のようです」と話すと、一気に樋口との思いを語った。
「私の師匠は井上清次なのですが、その井上のライバルは(樋口の師匠である)中村寅吉さんでした。私が井上に師事したときに“おまえは樋口倒す気持ちはあるのか”と言われました。戸惑いもありましたが“はい”と。この場に立たせていただいているのは皆様のおかげですが、樋口さんという大きな目標がなければ、師弟で“打倒樋口”と燃えることができなかったと思います。90年の(井上の所属コースだった)岐阜関カントリー倶楽部での日本女子オープンは、優勝できたこともうれしかったですが、2位が樋口さんで。師匠の前でこういう日が来たんだ、というのがとてもうれしかったですね」(森口)
この言葉を聞いている樋口の目には涙が。続けて「私も樋口さんも子どもを持ちながらやってくる中で色々な思いもありましたが、樋口さんと子どもや家庭の話もさせてもらえるようになったのが私としては最高の幸せでした」と森口が締めくくると、話を振られた樋口もときおり目がしらを抑えつつ「私を目標にしていただいて、永久シードまでなられたという目標になった喜びもありますが、私は森口さんより後に子どもを産んで、逆に森口さんを目標に頑張ってきました。出産してから18勝は、家族のご理解はもちろん、本人の努力のたまものだと思います。本当におめでとうございました」とねぎらった。
好対照だったのが中嶋と青木。中嶋は「この知らせを聞いたときは本当にうれしかった。良き先輩がいて、競い合う人がいたからです。青木さんと戦った日本オープン、ジャンボと戦った日本オープン忘れません。本当にああいう試合ができたのがうれしく思います。いいときも悪いときも、もっと悪いときも支えてくれた家内にこの殿堂をささげたい」と挨拶。
すると、後を受けた青木は「(1987年の日本オープンが行われた)有馬ロイヤルで18番1ストローク私がリードしているときに、グリーン脇のスタンドの下に中嶋くんがキャディバッグを持ってしゃがんで見ていた。その真正面に向かって私はパーパットを打つわけです。“俺が外してプレーオフをやろうか”という顔をしているように見えました。このパットを沈めて、中嶋に向かって大きくグーのガッツポーズをしてやりました。そのくらい勝負というのは生き地獄。勝てば天下、負ければ地獄なワケです。ちなみに彼(中嶋)は私がパットを入れた瞬間にバッグを置いて帰っていましたけどね(笑)。そのくらい勝負師でした」と思い出話に花を咲かすと、「あなたがそういうふうにやってくれたおかげで、長くしつこくゴルフができていますよ(笑)」と青木節で祝福した。
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