1995年から25年間も続いたファザー・サン・チャンレンジは、大勢のプロゴルファー父子が集うにぎやかな大会として愛されてきたが、今年は出場資格を「メジャー・チャンピオン20人とその家族」に限定。大会名はPNC選手権に改められた。
スクランブル方式の2日間36ホールのチーム戦。優勝したのはジャスティン・トーマスと父親マイクの父子だったが、人々の注目は最初から最後までタイガー・ウッズ父子に集中していた。
ウッズの息子チャーリー君は大会史上最年少の11歳だ。地元の南フロリダPGAジュニアツアーでは、すでに2勝を挙げているが、テレビカメラや200人超の人々の視線を浴びながらプレーしたのは初めてのことだった。
「人々から一斉に携帯を向けられる中でプレーすることは、チャーリーにとってはジュニアゴルフとはまったく異なる別世界になる」。
その別世界の中で、果たしてチャーリー君はどんなパフォーマンスを見せるのか。開幕前、ウッズは少々不安げな表情を見せていたが、そんな父親の心配をよそに、人々の視線はチャーリー君の一挙一動に釘付けだった。
大会前日のプロアマ戦では、スイングはもちろんのこと、ちょっとした動作や立ち居振る舞いにいたるまでウッズとチャーリー君があまりにも酷似していることが話題になり、いざ試合が始まると、人々の視線はチャーリー君のゴルフそのものの素晴らしさへ自ずと移っていった。
初日。パー5のセカンドショットで175ヤードを5番ウッドで狙い、ピン1.2メートルに付けて、当然のようにイーグルパットを沈めたチャーリー君の豪快で正確なプレーぶりは、11歳とは思えないほど堂に入っていた。
メジャー3勝のパドレイグ・ハリントンは「チャーリーの未来には大きな可能性がある。タイガーよ、もはや話題の中心はキミではなくチャーリーだ」と、ウッズを半分からかいながら、チャーリー君を絶賛していた。
そして何より、ウッズ自身が「僕のゴルフはどうでもいい。チャーリーが自分の人生を謳歌してくれたらそれが一番だ」と完全なる父親モードで息子を見守りながらプレーしていた。
振り返れば、物心ついたころのチャーリー君がいつも目にしていたのは、腰の手術で苦痛に喘ぎ、多くの時間を自宅で過ごしていた父親の苦悩の姿だった。世界中の人々がウッズの偉大さを知っているというのに、ウッズの子どもたちはそれを認識できておらず、父親が現役プロゴルファーであることすらわかっていなかったことは衝撃的な皮肉だった。
「僕の子どもたちは、僕のことをレジェンドか、ユーチューバーだと思っていた」
ウッズがそう明かしたのは、長い不調からようやく抜け出し、優勝争いを演じて6位になった2018年全英オープン終了後だった。
「これでやっと子どもたちは、僕にとってのゴルフの意味、戦う意義を、少しわかってくれたのではないかなと思う」
その翌月、ウッズは全米プロで2位になり、翌年4月にはマスターズで勝利を挙げてメジャー15勝目を達成。そんな父親の戦士の姿は、息子チャーリー君にとって絶対に追いかけたい「オヤジの背中」になったのだと思う。
それ以前から遊び程度にはゴルフクラブを握って球を打つことを経験していたチャーリー君は、それからは父親ウッズのアドバイスを受け、「ご近所さん」であるトーマスやその父親でティーチングプロであるマイクの指導を受け、さらには小さな体に宿る王者ウッズのDNAとゴルフ魂を呼び覚まし、このわずか2年のあいだに目覚ましい成長を見せている。
イングランドのリー・ウェストウッドは「おいおい、PGAツアーよ、チャーリー君には子どもらしいゴルフをエンジョイさせてあげるべきだろう?」と、一気に広がったチャーリー・フィーバーに苦言を呈した。
だが、大きな注目を浴びながら試合で戦ったこと、その中で自分らしいゴルフができたことは、未来のスター候補には必要な貴重で有意義な経験になったに違いない。
最終的には首位と5打差の7位だったが、一番うれしそうだったのは父親ウッズだった。
「一緒にプレーして楽しむことが目的だった。生涯忘れない思い出を作ることができた」
スポットライトに翻弄されることなく、自分のゴルフを立派にやり遂げたチャーリー君の前途洋々の輝く未来像は、世界のゴルフ界への最高のクリスマス・プレゼントになったのではないだろうか。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)
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