<明治安田生命レディス ヨコハマタイヤゴルフトーナメント 事前情報◇11日◇土佐カントリークラブ(高知県)◇6228ヤード・パー72>
東日本大震災発生からきょうで10年。今週の「明治安田生命レディス ヨコハマタイヤゴルフ」に出場する有村智恵は、時に涙で言葉をつまらせながら当時のことを振り返った。
熊本県生まれながら東北高出身の有村にとって、震災で大きな被害を受けた宮城県は青春時代を過ごした“第2のふるさと”。今でも震災に関する特集記事を見たり、試合で宮城県を訪れるたびに、「復興している姿を感じられたり、前を向いている人たちの言葉を聞くと強いなと思う。先日もあれだけ大きな余震があって、これ以上何もなければいいなというのが率直な思いです」と、特別な気持ちが胸に押し寄せてくる。
2011年3月11日午後2時46分。有村は今と同じように高知県の土佐カントリークラブにいて、ヨコハマタイヤゴルフ PRGRレディス(当時)を戦っていた。そして初日のラウンドを終えクラブハウスに戻ってきた後、東北地方で地震が起きたニュースを耳にした。「当時はスマホもないし、得られる情報が少なく、最初は“大変なことが起きている”くらいの感じだった。その後、言葉を失いました。衝撃を受けたのはすごく覚えています」。
ラウンド後はクラブハウスでの待機も余儀なくされ、何時間もこのコースで過ごすことになった。それだけに、このコースは「試合に来るたびに、あの時のことを思い出して、少し悲しい気持ちにもなります」という場所になった。
震災から2カ月ほど経ったころから今も毎年、宮城県の山元町立山下小学校を訪れ、地元の小学生と触れ合っている。「当時“ゴルフをしていていいのか?”、“ゴルフが人の役にたっているのか?”ということをすごく考えさせられ、モヤモヤしていました。自分たちの存在価値を見失っていた時。そのなかで、社会貢献活動をすることが思い立ったことでした」。価値観を大きく揺るがすできごとを目の当たりにし、すぐに宮城県に足を運んだことが、今につながっている。
きょう行われた会見では、当時の印象的なできごとを聞かれ、涙する場面も見られた。「初めて山元町を訪れた時、小学校の体育館に津波で流されたものが並べられていた。キッチン用具やランドセル、アルバムや位牌など。引き取りに来る人もいて、全部がそうあって(引き取られて)欲しいと思いました」。今もこの光景は、まぶたに焼きついて離れない。
「スランプに陥って諦めそうになった時も、子供たちや東北の人がみているから頑張らないとと思えました。間違いなく力になっている。こういう活動で出会った人に支えられた10年でした」
ゴルファーとしての自分の存在意義に疑問を抱いてから10年が過ぎた今、有村はスポーツ、そしてエンターテインメントの重要性を信じることができている。「コロナ禍でガマンを強いられているなか、スポーツを見ていろいろ感情を動かすことは大切だと思います。女子ゴルフもたくさん注目してもらっている。これからも、自分がいい成績を残すことで前向きになる人がいると思ってプレーしたい」
今やれるべきことにベストを尽くすことに変わりはない。「いい成績を残して、このコースにいい思い出も刻みたいですね」。こんな気持ちも胸に、明日から始まる大会へと向かっていく。
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