昨年、コロナ禍で米ツアーがほぼ3カ月のあいだ休止された後、再開初戦となったのが、今週のチャールズ・シュワッブチャレンジだった。未曽有のコロナ禍の中、手探りで開催された1年前は無観客開催だったため、ギャラリーの姿は皆無だった。
1年後の今年はコロニアルCCに大勢の人々が詰め寄せた。にぎわいが戻ったことを祝うかのように、大会側はギャラリーに「オール・ユー・キャン・イート(食べ放題、飲み放題)」のスペシャル・サービスを提供した。
子どもも大人も大喜び。開催地のテキサス州フォートワースはもちろんのこと、近郊のダラス周辺からも大勢のギャラリーが訪れた。
とはいえ、人々のお目当ては、もちろん、食べ物、飲み物だけではない。テキサスが生んだ英雄、ジョーダン・スピースが勝利する姿を見たい一心で、人々はコロニアルCCにやってきた。
そして、人々の期待通り、スピースは単独首位で最終日を迎えた。しかし、勝利したのは、スピースとともに最終組でプレーしたジェイソン・コクラックだった。
最終日を1打差でスタートしたスピースとコクラック。大観衆の声援は「ジョーダン!ジョーダン!」一色で、コクラックは完全なるアウェイだった。
スピースは27歳で通算12勝、コクラックは36歳で通算勝利数はわずか1勝。年齢にも勝利数にも差があったが、最大の違いは、大観衆から寄せられる声援の差だった。
思い出されたのは、2016年フェニックス・オープンで勝利を競い合ったリッキー・ファウラーと松山英樹の優勝争い。あのとき松山は「大観衆すべてがリッキーを応援していて、僕は完全なるアウェイだったけど、逆に、そこで勝ってやるという気持ちで戦った」と言っていた。
コクラックも松山同様、アウェイであることを逆に利用してやるという気概で最終日に臨んだ。
「ジョーダンはテキサスの人で、僕はオハイオの人。ここでは僕は人気者ではないけど、僕は僕で頑張るのみだ」
序盤は2人ともドタバタした発進となったが、落ち着きを取り戻したコクラックが後半11番、13番のバーディでスピースを徐々に上回っていった。
終盤は15番、16番で連続ボギーを喫し、スピースとの差は1打に縮まった。しかし、グリーン左に外した17番のアップ&ダウンのパーセーブが大きかった。ショットが乱れ続けたスピースは18番の2打目を池に落として自滅。「ジョーダン・コール」の中で集中力を保ち続けたコクラックが最後は2打差で通算2勝目を挙げた。
昨年10月、コロナ禍で本来の韓国開催がラスベガス開催となったCJカップ・アット・シャドウクリークを制し、米ツアーデビューから233試合目にして、ようやく初優勝を挙げたコクラック。
あのときは「これまで何百万回も優勝争いに絡み、勝てなかったけど、僕はいつか必ず勝てるはずだ、その力はあるはずだと信じてきた」と語っていたが、今回は、あの初優勝で得た自信を胸に抱き、勝利を信じて挑んだ。
コクラックの自信の礎となっていたのは、あの初優勝のころからずっと好調さを持続しているパットだ。元ツアープロだったキャディのデビッド・ロビンソンから「もう少し長いパターに替えた方がいい」と助言され、36インチのベティナルディを握り始めて以来、「よりアップライトに立てるようになり、ストロークもしやすくなって入るようになった」と振り返った。
昨年10月の初優勝も今回の2勝目も「パットが好調になったおかげ。キャディのおかげだ」と語っていたが、勝因はそれだけではなかったはずだ。
飛んで曲がらない見事なドライビングがあったからこそ、好調なパッティングとのコンビネーションでスコアを伸ばすことができた。自信に裏打ちされた冷静なプレーぶり。アウェイに打ち勝つための忍耐と集中力。そのすべてが勝因となったが、最大の力になったのは、やはり「勝つぞ」という気概。強い心があったからこそ、ショットもパットもコントロールすることができた。
「ジョーダン・コールに尽きていた。でも僕は絶対に優勝賞金とトロフィーを持ち帰ってやると心に誓っていた」
フェデックスカップランキングは27位から5位へ浮上。コクラックは米ツアー10年目にして「心」の力で大ブレイク。目が離せない存在になった。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)
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