2021年3月まで日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)の理事を務め、いまは女子ゴルフ界発展のため尽力し、自身のゴルフ向上も目指す、女子プロゴルファーの原田香里。まだまだこれからと話すゴルフ人生、そして女子ゴルフ界についての未来を語る。
――――
ゴルフを愛するみなさん、こんにちは、原田香里です。秋も深まってきましたが、ゴルフを楽しんでいらっしゃいますか?
今回は、日本女子の“シニア”がプレーするレジェンズツアーについて、詳しくお話しするとともに、今後の可能性を考えてみたいと思います。
3月に日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)理事退任後、私が最初に出場したのも、このレジェンズツアーです。その年4月1日時点で45歳以上のJLPGA会員が出場できます。
と言っても、出場人数には限りがあるので、レジェンズツアーでの優勝経験や、永久シード選手、レギュラーツアー3勝以上の者、レジェンズツアーQT(予選会)上位の者、などが実際に試合に出られます。
45歳以上の選手は年々、増えているので、レギュラーツアー3勝以上という資格は来年度から5勝に変更される予定となっています。
今年は、1試合が中止となり、結局2試合が行われました。私が理事だった頃から「もっと試合が増えるといいですね」と色々な方面から言われていたことも確かですし、レジェンズの試合がなかなか増えていかない様々な事情があることもよくわかっています。
そんな状況の中で、私が実際にレジェンズツアーに出場したことで持った正直な気持ちは、やはりもうちょっと試合があるといいなぁということです。
レジェンズのみなさんは、スポンサーの大切さをとてもよく知っています。スポンサーに対する感謝を表現する努力もしています。選手同士が相談して、スポンサーのコーポレートカラーのウェアをみんなで着てプレーしたときには、本当に喜んでもらえたようです。そういうことを自主的に探して、実行に移すこともできるのが、レジェンズツアーのみなさんなのです。
元々『生涯スポーツとしてのゴルフの普及・拡大・社会貢献活動を目的とし』とうたって(JLPGAオフィシャルウェブサイトより)始まったツアーです。この目的をもっと深く追求し、もっとアピールできれば、大きな広がりができるのではないかと思います。
あまり表には出ていませんが、実はレジェンズのみなさんは、個々でいろいろと動いています。例えば、神奈川レディースオープンなどは、運営からスポンサー集めまで、女子プロたちがすべてやっていると聞きます。試合を始めとした様々なイベントを企画することもあります。バイタリティーがすごいのです。
また、レッスンでの生徒さん、スポンサーさんなど、応援して下さる方もそれぞれにたくさんいらっしゃいます。これはとても大きな力になるでしょう。
もちろん「試合がやりたい」という気持ちは選手みんなが持っているものです。でも、それ以上に、ゴルフを普及させていく、という明確な気持ちを感じているから、自ら動いているのではないでしょうか。
本当は、こうした選手のみなさんの活動と、協会(JLPGA)がうまくタッグを組んでやっていければいいのですが、なかなかこの折り合いが難しいのが現実です。少しもったいない気がしますね。
色々とアイデアもあります。例えば、プロアマ形式で試合をする。レッスンも上手で話題の豊富なレジェンズには、とても親和性が高いし、スポンサーさんの満足度も高いはずです。
また、ゴルファーとして、女性として様々な経験を重ねてきたレジェンズたちは、若い人たちに対する影響力も大きいはずです。
その成功体験だけでなく、失敗体験も伝えることができれば、若い人たちの世界が広がったり、深まったりします。例えば、私はプレーファストついて若い人たちに伝える時、こんな風に言っています。
「私もブラックリストに載るくらいプレーが遅いほうだったから、遅くなってしまう理由もわかっているつもりです。でも、試合は一人でしているのではありません。一緒に回っている人もいるわけだし、後続のプレーヤーもいます。だから、頑張って速くプレーできるようにしよう」と。人間は失敗する生き物です。きれいごとだけでなく、自分の失敗談も含めて伝えることで、相手が耳を傾けてくれることもあると感じています。
レギュラーツアーに出場しているうちは、どうしても自分のことだけでいっぱいいっぱいになってしまいがちですが、レジェンズになると、気持ちの上で少し余裕ができます。だからこそ、そのタイミングで若い人たちに伝えていくべきことを伝えたいと思うのです。
もちろん、個人的に後輩たちに色々伝えている方はたくさんいます。この動きを、もっともっと広げていくことが、将来につながるのではないでしょうか。このような取り組みが大切だと思っています。
原田香里(はらだ・かおり)
1966年10月27日生まれ、山口県出身。11歳からゴルフを始めると、名門・日大ゴルフ部に進み腕を磨いた。89年のプロテストに合格しプロ転向。92年の「ミズノオープンレディスゴルフトーナメント」でツアー初優勝。93年には「日本女子プロゴルフ選手権大会」、「JLPGA明治乳業カップ年度最優秀女子プロ決定戦」勝利で公式戦2冠を達成。98年には賞金ランキングでも2位に入るなど通算7勝の活躍。一線を離れてからは日本女子プロゴルフ協会の運営に尽力。今年の3月まで理事を務めていた。
<ゴルフ情報ALBA.Net>