「CAT Ladies」で初優勝を挙げた2019年に、賞金ランキング33位に入り初シードを手にした淺井咲希。しかし初めてシード選手として臨んだ20-21年シーズンに、その肩書を失うことになった。「苦しかった」と振り返った1年半。しかし調子が上がらないなか、ひたむきにゴルフと向き合った時間を“再起”への糧にする。
新型コロナウイルスが世界中でまん延した20年春。淺井も満足な練習を積めずに、自宅で多くの時間を過ごす選手の一人だった。「今シーズン(20年)は大事な一年になる」と、これまで以上に気合が入ったオフを過ごしたが、3月から大会中止が続きリズムは大きく崩れた。
ようやく開幕したのは6月の「アース・モンダミンカップ」(53位タイ)。10月の「スタンレーレディス」ではプレーオフで敗れたものの2位タイを記録し、続く「富士通レディース」で4位タイになった。しかし統合され同一シーズンになった21年を迎えると“予選落ち”の文字が目立つようになる。
これはドライバーの不振に起因するものだった。「怖くてドライバーが打てなくなって、試合もスコアを出すというより、ただ消化しているという感じ。まったくゴルフになっていませんでした」。この1年半のフェアウェイキープ率をみると55.1368%の89位。64.5466%で59位だった19年シーズンよりも、その数字は大幅に悪化した。それにともないパーオン率も21位から82位まで急降下。これでは苦しいゴルフになるのは無理もない。
昨季は賞金ランキング、もしくはメルセデス・ランキングのいずれかで50位以内に入ればシード入りを果たせたシーズンだった。そのなかで自身最終戦となった21年11月の「大王製紙エリエールレディス」を、ボーダーライン上の賞金ランク50位で迎えることになる。結果は2日間トータル4オーバーで予選落ち。この結果、後続の選手に抜かれシードを喪失した。
2日目のラウンド後、淺井は「やり切ったし、悔いも無い」とつらい現実を受け入れた。それができたのは「棄権することは何度もできたけど、私はレギュラーに来て1度も休んでいない」という自負があったから。落ち込んでもおかしくない状況のなかコースに出て、その時にできる最高のプレーを目指す姿勢を貫いたことは評価する。
それは練習でも変わらない。「どれだけ悪くても努力し続けた。逃げる事はいつでもできる。どれだけOBを打っても、どれだけスコアが悪くても、最後の試合まで回り切ろうと決めていました」。この気持ちを貫き通したことで、「メンタル的に強くなった」という実感を得ることもできた。
シード落ちしたとはいえ、賞金ランク52位に踏みとどまったことで、同55位までの選手に与えられる22年シーズンの前半戦出場権は手にした。そしてエリエールでは、曲げることを恐れずにドライバーを振り切り、「ひさびさに気持ちよくゴルフができた。だんだんよくなってきました」と手ごたえを感じられるまでに。ツアーを席巻する1998年度生まれの黄金世代の一人は、“リランキング突破”ではなく“2勝目”を目指し3月開幕の新シーズンに立ち向かっていくはずだ。
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