<CIMBクラシック 最終日◇14日◇TPCクアラルンプール・マレーシア(7005ヤード・パー72)>
米国男子ツアーの開幕第2戦、「CIMBクラシック」は2年前、「松山英樹が2位になった大会」として、日本のゴルフファンの記憶に留まっているかもしれないが、それ以前にこの大会が日本で注目されたことは、ほとんどなかった。
だが、今だからこそ、この大会に目を向け、その歩みを知っておいていただきたい。今週のこのコラムは、そんな願いを込めて記した。
CIMBクラシックは米ツアーとアジアンツアーの共催イベントとして2010年にマレーシアで創設された。
東南アジアで初めて開催された米ツアー大会。マレーシアのゴルフファンにとっては「米PGAツアー」の名が冠された夢のような大会。だが、その出だしは出場選手わずか40人のスモールイベントで、フェデックスカップのポイント加算もなく、優勝してもオーガスタへの切符がもらえない非公式大会だった。
2011年からは出場選手は48人に増やされたが、その年も2012年も依然、非公式大会。しかし、マレーシアやアジアンツアー関係者の必死の努力が実り、2013年からは78人の選手が4日間を戦う公式大会に格上げされた。フェデックスカップにも組み入れられ、優勝者には翌年のマスターズ出場資格も与えられることになった。
その2013年と翌2014年の大会を連覇したのは、米国人選手のライアン・ムーアだった。彼にとってはすでに米ツアー3勝目と4勝目だったが、それまでは波が激しかったムーアの成績は、CIMBクラシックで2連覇を達成して以来、すっかり安定し、トッププレーヤーの仲間入りを果たした。
2015年と2016年の大会を連覇したのは、やはり米国人のジャスティン・トーマス。米ツアーにデビューし、「ジョーダン・スピースの親友」としか呼ばれなかったトーマスが、CIMBクラシックで初優勝を挙げ、翌年は連覇を成し遂げたことが、以後、彼をメジャーチャンプへ、世界一へと押し上げた。
世界のどこかで米ツアーの大会が新設され、成功と発展を遂げたその大会がそうやって選手を育てていく。そんなCIMBクラシックの歩みには、これから米ツアーの新大会を迎え入れるとされている日本のゴルフ界が学ぶべきことがたくさんあるはずだ。
今年の大会は、マーク・リーシュマン、ゲーリー・ウッドランド(米国)、そしてインドの新人、シュバンカー・シャルマの3人が首位タイで最終日を迎え、安定したプレーを続けた34歳のリーシュマンが2位に5打差を付けて米ツアー通算4勝目を挙げた。
オーストラリア出身のリーシュマンがプロ初勝利を収めたのは2006年。その場所は母国ではなく韓国だった。以後、母国ツアーで2勝を挙げ、2009年から米ツアー参戦。2012年に初優勝を挙げたが、それでもリーシュマンは戦う場と機会を求め、まだ非公式大会だったCIMBクラシックに出場するため、マレーシアへ渡った。
以後、ほぼ毎年マレーシアへ出向き、今年は6回目の出場だった。現地の大会関係者は顔なじみ。リーシュマン自身も地元のファンの間ではおなじみの存在になっている。
大会の成長と歩みを一緒に眺め、ともに歩んできた人々に見守られながらウイニングパットを沈めたリーシュマン。彼の笑顔は人々に「長い間、応援し続けてくれて、ありがとう」と言っていた。拍手を送るファンのうれしそうな表情は「ついに優勝できたね。おめでとう」と言っているかのようだった。
プロを目指していた若かりし日は、ゴルフの費用を稼ぐために命の危険さえ伴う工場に夜勤で働いたこともあった。だが、愛妻が敗血症で生死の境をさまよい、奇跡的に回復してからは、「ゴルフの成績以上に大事なものを思い知った」というリーシュマン。
「今、すべてがハッピーだ。チャンスを生かせなかったことも過去にはあったが、今はとてもいい気分だ」
リーシュマンの勝利と笑顔は、さまざまな機会を与え、見守ってくれた大会に対する最高の恩返しになった。
文・舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)
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