地元、沖縄出身の比嘉真美子の優勝で女子ツアーは華やかに幕を開けた。比嘉は「76」とスコアを落としながらも、前日までの貯金を生かして3打差優勝。地元を大いに沸かせた。
避難所で炊き出しを行う石川遼【写真】
こうして開幕戦が終わった翌日は、奇しくも3月11日。いうまでもなく、東日本大震災から8年という特別な日だった。東日本を大きな揺れが襲った午後2時46分に黙とうした人だけでなく、多くの人が「あの日」を思い出し、様々ことを考えたはずだ。歳月とともに、日ごろは忘れかけていたことにも気が付いたろう。
金曜日だったあの日。女子ツアーは、シーズン2戦目の「ヨコハマタイヤ PRGRレディス」初日だった。会場は、東日本とは遠く離れた高知の土佐CC。直接、地震そのものの影響はなかったが、大会は中止となった。原発事故の影響もあり、情勢を鑑みてその後の3試合も中止。被災地出身の選手が、遠方のプロ仲間の家に避難したりしたこともあった。
あの時、プロたちから何度も聞いたのが「ゴルフなんかしていていいのだろうか」という言葉だ。甚大な被害と犠牲者の数、その後も、避難を続ける大勢の人たちを前に、エンターテイメントとしてのプロスポーツの在り方を考えた者も多かった。ツアー再開後には、チャリティ活動も数多く行われた。
その5年後、熊本地震が起きた。この時は、ツアーが熊本開催だったこともあり、選手を中心にした関係者の多くが恐怖と不便さを肌で体験している。プロの中には、熊本出身者も多く、今でもチャリティ活動を熱心に行っている。もちろん、この時も「元気な姿を見せて」といわれ、プロアスリートの役割を再確認した選手たちが多かった。
東日本大震災から8年、熊本地震から3年。プロたちは今でも、その時にかみしめた「プロアスリートの役割」を、常に意識しているだろうか。日ごろから、ファンを笑顔にしたり、エネルギーを与える存在。それがプロアスリートではないだろうか。だからこそ、お客さんが来てくれて、スポンサーもついて、プロとしてやっていける。災害のあった時だけではなく、常日頃から、そのことを忘れないでいて欲しい。震災の日はそれを改めてかみしめることができる日でもある。
一方、日本政府は「被災地が復興を成し遂げつつあることを世界に発信する」(『復興オリンピック・パラリンピックに係る政府の取り組み』より)というスタンス。東京五輪を復興五輪と位置付けている。これに違和感を感じるという声は、あちこちから聞こえてくる。当然だ。五輪のために東京周辺に建設関係が集中し、被災地の復興にはむしろ支障をきたしているという現状だけでも『復興五輪』を掲げるのはおかしな話だからだ。
アスリートにとって、五輪を含めて試合は極めて大切なパフォーマンス披露の舞台なのはいうまでもない。だが、それを目指す以上、その意味するところをしっかりと考えて欲しい。アスリートやアーティストが政治的な発言をすることをタブー視する悪しき風潮が、日本にはある。しかし、世界のアスリートを見ればわかるように、責任を持って自分の意見を表に出すことは、影響力の大きい存在であればあるほど大切だ。そのことを常に考え、視野を広く持つことが、アスリートとして、人としての成長につながるはずだ。(文・小川淳子)
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