<フジサンケイレディスクラシック 事前情報◇25日◇川奈ホテルゴルフコース富士コース(静岡県)◇6376ヤード・パー71>
ここ川奈でツアー初優勝をつかんでから4年。今年の大会に主催者推薦で出場する藤田光里が、思い出の地で「また一から」という言葉とともに再起を誓った。
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2015年4月26日のことは、もちろん今も鮮明に頭に残っている。最終日を最終組でスタートしたあの日。最終18番パー4をトータル6アンダーのトップタイで迎えた。同スコアで並ぶのは藤田を合わせ6人。パーでもプレーオフ、ボギーで脱落というひりついた状況だった。フェアウェイからのセカンドショットは、ピンまで5mのエッジに着弾。「まさか入るとは思わなかった」というこの状況でパターを握ると、放たれたボールは下りのフックラインをたどりカップイン。次の瞬間、歓喜の涙を流した。
「あのパットが入ってなかったら、今はないと思います」。ゴルフ人生を左右したクラッチパットを「もうそんなに時間が経ったんだな。早かったけど濃い4年間でした」としみじみと振り返る。この優勝後、自ら「ターニングポイント」と語るできごとを藤田は2つ味わうことになった。1つが二人三脚ゴルフに取り組んできた父・孝幸氏の死去。そしてもう1つが、昨年うけた左ひじの手術だった。
2016年12月、最愛の父との突然の別れ。この時には「2人でやってきたことだったので『ゴルフをやめようかな』とも思いました」という気持ちが胸に去来した。しかし、競技を続けることを決断。「続けたという選択肢にも何か意味がある」。今はこう考えられるようになった。さらに同時期に、左ひじを激痛が襲うようになった。すぐに手術も考えたが、当時シード選手だった藤田は「試合に出たいという気持ちが強かった」と、その後も痛みをこらえながらプレーを続けた。ようやくメスを入れたのが昨年1月。このクラブを握れない日々によって、「ゴルフをやりたい」という強い思いが芽生えたという。
まだコースに出ると、「痛かった時期が長かった分、その記憶が抜けない」と手術箇所に怖さを感じることはある。しかしそれ以上に「ゴルフができることがうれしい」という日々を送っている。今後は「まずは予選を通ることが目標です。ステップ・アップ・ツアーは出場権があるので、そこで優勝争いができるようになって、またQTでレギュラーに戻れるようにしたい」というプロセスを思い描いている。「今は空回りしないように」。こう自分に言い聞かせる。
「推薦をいただけた試合が川奈というのはうれしかった。今年で25歳になるし、後輩も増えて中堅と呼ばれる年齢。新しいプロゴルファー像を目指していきたい。優勝した時は勢いだったので」。この試合が「アクサレディス」に続く今季レギュラーツアー2戦目。濃い4年間を過ごした歴代女王が、川奈から“新たな一歩”を踏み出す。(文・間宮輝憲)
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