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苦節乗り越え世界に認められた渋野日向子 コーチとの1年半を振り返る【記者の目】

日本勢が9人出場した女子版の全英オープン。20歳の渋野日向子が海外試合初出場で、優勝をさらった。日本人メジャー優勝は樋口久子以来42年ぶりの偉業だった。
北の大地でも“シブコ”フィーバー!報道陣が殺到【事前フォトギャラリー】
ドイツからロンドン行きの格安航空会社フライトが急遽キャンセル、たらい回しで空港を走り回らされ、国際免許とクレジットカードを紛失。デュッセルドルフ空港で一夜を明かし、1日遅れで失意の英国入り。当初の予定より大幅な遅れでレンタカー手配にも狂い。借りられたのは小型のトラック。そんな暗雲立ち込めるスタートの全英取材となったが、コースに到着して笑顔で迎えてくれたのが渋野だった。
大会前の月曜日。渋野日向子の練習ラウンドについていった。日本と変わらない様子。「勝ったから言えるのだろ」と突っ込まれそうだが、その時のプレーを見ていて思ったのは、「そこそこやれるのでは」だった。6ホールだけだったが、カナダの妖精、ブルック・ヘンダーソンとのラウンド。練習とはいえ、世界トップの選手をしのぐ内容だった。
ドライバーは曲がらず、アイアンもグリーンを正確にとらえた。上々の調子を保っているのは明らかだった。あとはグリーン上の勝負。入り出したら止まらない、長いものから短いものまで、なんでもガツガツ、カップ反対側の縁を壊しながら、前をこじ開けていく。そんなスタイルがメジャーでも健在なら、勢いがある今、「そこそこ」の位置では終わると思っていた。
そんな「そこそこ」の勝手な期待は、見事に裏切られた。メジャー大会のプレッシャーなどというものは、こっちが勝手に決めつけているもの。渋野自身は、「あくまでも1つの試合」という意識で、むしろ国内試合よりもリラックスして見えた。そして、のちに、日本が誇る微笑み天使が快挙を成し遂げる。
渋野に初めて会ったのは1年前。最終プロテストだった。初日から1番ティでカメラを向けていた。そこに現れた渋野を初めて見た時の感想は「クール」。勝手にそう思い込んでいたが、これもまた覆される。
4日間競技の3日目の夕方。練習グリーンで黙々と球を転がす渋野を見ていた。練習をじっと観察していると、顔見知りが近づいてきた。全英でキャディを務めたコーチの青木翔氏だった。「いいところに目をつけましたね。おもしろい選手ですよ(笑)」といわれたのを思い出した。
渋野と青木コーチとの出会いは2017年の秋。それまでは陸上選手の両親から受け継いだ抜群の運動神経を生かし、感覚重視のゴルフだった。そこに、「選手の個性を伸ばす」青木コーチのエッセンスが加わった。といっても、一からの指導ではなく、青木流は考えさせるゴルフ。アドバイスを与え、選手自身に考えさせるもの。みるみる渋野の才能が開花していく。
畑岡奈紗や勝みなみ、新垣比菜といったメンバーと同じく黄金世代の一角だが、学生時代は地元での活躍止まり。それでもプロテストを通ってそこそこ活躍できるはずだった。17年の夏、最初のプロテストに挑んだ渋野は、涙をのむことになった。その後、青木コーチと出会い、18年のプロテスト合格を目指した。
絶対に負けられない戦いに挑んだ2度目のプロテスト。悲壮感はなかった。いま思い返しても「吐きそうだった。絶対にもうやりたくない」と振り返るプロテストだったが、そんな場でも、リラックスした表情で言葉を交わしたのを覚えている。
プロテスト3日目の話に戻る。渋野は青木コーチから科せられたドリルを黙々とこなしていた。ボールをカップ回りに9コ並べ、距離を50センチずつ伸ばして置かれたものをぜんぶ沈めるまでは帰れないというノルマ。9コのうち2コまでは外すことが許される。そのあとは同じラインの距離違いというドリルが続き、クリアしなければ試合後にもかかわらず、帰れないというもの。
「このドリルが生きているのかな」と、パットでの集中力アップが成績向上につながっているが、そんな大事なドリルの最中に、青木コーチが渋野を紹介してくれた。そのときからケラケラとよく笑う選手で、緊張感があるとは思えない様子だった。こちらが勝手に思っていたクールなイメージとは違って、明るくよく話す選手だということが分かった。翌日は進路が決まる大事な1日。そんなプレッシャーを感じさせない会話を交わしたのを覚えている。
合格者は上位20位タイまで。3日間を終えた渋野は21位タイだった。そんな状況でも、こちらの「クール」な思い込みに対して、「んなわけない!」と爆笑してくれた。「そんなに緊張していなかった」という最終日に「68」をマークして、14位タイまで浮上。リベンジを果たし、ここでも満開の笑顔を見せていたのをよく覚えている。
それから再会を果たしたのが、3月の「ヨコハマタイヤPRGRレディス」。プロ入り後、レギュラーツアー初出場大会で、2日目を終えて5位タイ。いきなり優勝争いに食い込んだ。その渋野のプレーを見ようと最終日前半のプレーについた。ルーキーのプレーは見事だった。ボギーが先行したが、その後3バーディを奪った。後半こそ3ボギーで崩れたが、初の優勝争いでも笑顔を見せていた。
その後は初日最下位からのカムバック、川奈での優勝争い、そして「ワールドレディスチャンピオンシップ サロンパスカップ」で優勝。一気に階段を駆け上がった。サロンパス優勝の夜、渋野は大会近隣のレストランで父の悟さんと青木コーチと一緒に、静かに食事をとっていた。「静かに生きていきたいんです」と、全英で何度も話していた渋野。初優勝を果たし、世間がすでにフィーバーの始まりを感じていたときも、渋野自身は何も変わらなかった。
黙々とお祝いメッセージに返信をする姿。「勝っちゃいましたね。でも、何も変わらないです(笑)」と渋野が話せば、青木コーチも「これからです。まだまだの選手ですから」と話していた。シード権を持たないため、翌週の「ほけんの窓口レディス」の出場権は持っていなかった。優勝してその権利を得たが、「元々出場予定ではなかったし、地元に帰りたいので出ません」。勝利を挙げても、渋野は変わらなかった。
初優勝後は当然、注目を集めることになったが、いつ会ってもその笑顔は変わらなかった。親友の大里桃子らとふざけあい、コースでの様子は20歳の元気な子だった。6月末時点の国内賞金ランキング上位の資格で全英出場が決まると、「渋野全英行けるってよ」とSNSに投稿するなど、らしさは全く失われていなかった。
そしてその翌週、7月の「資生堂 アネッサ レディス」でプレーオフの末に2勝目を挙げた。「あのときは流れがあったので、勝てると思った」と、最終日の15番で15メートルを沈めて、ダブルボギーのイ・ミニョン(韓国)に追いつき、ますます勢いをつけた。
そこにきて、神がかり的なゴルフの末に全英優勝という大仕事をやってのけたが、実は6月の前半、「宮里藍サントリーレディス」で事件が起きていた。ラウンド中にイライラを募らせていた渋野に青木コーチの雷が落ちた。「1回勝っただけで、何やっているんだ。回りでサポートしてくれる人やキャディさんに対して失礼。感謝しなさい」。その翌週から7位タイ、4位、そして資生堂の優勝へとつなげた。
「予選通過できればいいかな〜、くらい」と挑んだ初メジャーの舞台。渋野と青木コーチは冗談を言い合いながら、快進撃を続けた。初日で世界を驚かせ、2日目で世界に認められ、3日目に世界を味方にし、最終日に世界を歓喜させた。渋野の目には涙…、はなし。青木コーチは涙を流した。2人らしいエンディングに、世界中が賛辞の言葉を贈った。
今回の優勝で渋野は思いもしなかった環境に身を投じることになる。ホールアウト後につぶやいた「やっちゃいました(笑)」という言葉が本音だっただろう。帰国後のフィーバーも、取材攻勢も、すべてが思いもしなかったできごと。それでも、笑顔を絶やさず、「長くは続かないでしょう(笑)」と、ここでも他人事のように、笑う。
時の人となった渋野と、これを支えた青木コーチ。信頼し合う師弟関係と同時に、漫才コンビのようにテンポのいいトークと掛け合い。普段はキャディを務めることはない青木コーチだが、これからも世界のシブコを影で支えてほしい。そして、その支えに笑顔で応え、成長していく渋野を見守っていきたい。いや、見ることができる喜びをかみ締めたい。(文・高桑均)
<ゴルフ情報ALBA.Net>

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