「ファーマーズ・インシュランス・オープン」の最終日、通算83勝目が期待されていたタイガー・ウッズ(米国)は首位から5打差でスタートした。
ブライアント氏のヘリ墜落現場【写真】
闘いの舞台であるトリーパインズはウッズが過去8勝を挙げた相性抜群の最高の場所だ。ウッズのサンデー・レッドシャツはトリーパインズの緑の芝によく映えていた。
だが、肝心のパットはなかなか決まらず、ウッズの表情には苦悩の色が見て取れる。彼はすでにあの悲報を知っているのだろうか。そう思いながら、ウッズのプレーを眺めた。
この日、全米は驚きと悲しみに包まれていた。かつてNBAのロサンゼルス・レイカーズで大活躍したバスケットボール界のスーパースター、41歳のコービー・ブライアント氏と13歳の娘を乗せた5人乗りのヘリコプターがロサンゼルスの近郊の山に墜落。全員が亡くなる惨事が起こった。
事故直後は、搭乗者がわからず、「カリフォルニア山中でヘリ墜落」というローカル・ニュースのみ。全米のTV局はほとんどこの事故を扱っていなかった。だが、ブライアント氏と娘が乗っていたことが判明した途端、各TV局は臨時ニュースに切り替えた。今大会を生中継するはずのCBS局も例外ではなかった。
トリーパインズのギャラリーも手にしていたスマホに飛び込んだニュースで次々に悲報を知り、騒然となっていった。
だが、すでにティオフしていたウッズはホールアウトするまで悲報を知らなかった。いや、知らされなかった。それは相棒キャディ、ジョー・ラカバによる気遣いだった。
ラカバはラウンド半ばでブライアント氏の悲報をカメラマンなどから聞かされた。だが、ウッズと長年親交のあったブライアント氏の惨事を伝えたら、間違いなくウッズはプレーに集中できなくなる。だからラカバはホールアウトするまでウッズには何も伝えなかったそうだ。
ボギー発進となり、パットに苦しみながらも辛抱強いプレーぶりで9位タイに踏み留まったウッズは、72ホール目を終えたとき、初めてラカバからブライアント氏の突然の死を知らされた。
「ただただショックで、とんでもなく悲しい」
ウッズは、しばし言葉を失っていた。
ウッズがプロ転向したのは1996年。ブライアント氏がレイカーズ入りしたのも同年だった。そのころから2人は親交を温め、ウッズがフロリダへ移り住むまでの間は「ご近所」だったこともあり、ともにトレーニングをしていた時期もあった。以後も、ウッズのNBA観戦と言えば、その多くはブライアント氏の応援だった。
「コービーはいつも闘志を燃やしている人だった。勝利への渇望を常に抱いていた。どうしたら、もっと向上できるかを、いつも考え、努力していた」
ブライアント氏の思い出をそう語ったウッズの「人生は脆いよね」という一言から、彼の大きな喪失感が伝わってきた。
最終日を7位タイからスタートしながら一気に7つ伸ばす猛ダッシュをかけ、大逆転優勝を飾ったのはオーストラリア出身のマーク・リーシュマンだった。
この日はドライバーが乱れ、フェアウエイを捉えたのは、わずか3回。それでも見事なパットでスコアを伸ばし、独走体制に入ったかに見えたが、その勢いがわずかにスローダウンした途端、ジョン・ラーム(スペイン)にここぞとばかりに詰め寄られた。
わずか1打差で72ホール目を迎えたリーシュマンは、切羽詰まった状態でバーディを奪い、2打差を付けてホールアウト。それでもプレーオフに備え、すぐさま練習場へ向かって球を打った。そして、ラームが72ホール目のイーグルパットを逃した瞬間、ようやくリーシュマンが笑顔を見せた。
マネージャーから手渡されたスマホで家族と喜び合うリーシュマンの笑顔はとても幸せそうだった。
下積み時代、リーシュマンは転戦費用を稼ぐために危険な工場で命懸けで働いた。米ツアー参戦開始後の2015年には愛妻が敗血症で生死の境をさまよい、妻は奇跡的に回復。「あのときから僕の人生のプライオリティはゴルフから命に変わった」。
ブライアント氏の悲報に世界が包まれる中、そんなリーシュマンが勝利を飾り、「こうしてプレーでき、勝てたことは、とても幸せだ」と命あることへの感謝を静かに語った。
「人生は脆いよね」――ウッズの一言を、また思い出した。
文・舩越園子(ゴルフジャーナリスト)
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