石川遼主催の全国から選抜された高校生の大会、「The “One” Junior Golf Tournament」が24、25日に横浜カントリークラブで行われた。この大会は、この夏に行われるはずだった「全国高等学校ゴルフ選手権」や「日本ジュニア」が新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期や中止となり、「高校最終学年のゴルファー、及びトップジュニアが活躍できる舞台をわずかでも創出したい」という石川の思いから実施にこぎ着けたもの。2日間36ホールストロークプレーで予選カットはなかった。
出場したのは、高校1年生から3年生までの男女83名。予選はなく、高校生のみの日本アマチュアランキング及び全国高等学校ゴルフ選手権大会の成績を参考にトップジュニアたちが選出され、大会要項が送られた。トップジュニアたちにとってみれば、高校野球と同じように各地区で代替大会はあったものの、石川主催大会がこの夏行われた唯一の全国大会となった。
国内男子ツアーも開幕できない苦しい状況の中で、ジュニア大会開催に石川を突き動かしたものは何だったのか?「自分の中で高校3年生は“オトナ”がすぐそこまで来ている感覚。その岐路に立っている。ですが今年は中止にせざるを得ないジュニアの大会がたくさんありました。大学だったり、これから進路を決めていく中で、どうしてもゴルフの成績が考慮、判断されます。ゴルフ界にいる人間として、何かできないかと思った」。
高校3年生といえば、石川自身はツアーで年間4勝を挙げて初めて賞金王を獲得した年でもある。大きく飛躍した自分と今の高校生たちを重ね合わせる。「1年1年上手くなる年代なので、『今の自分を見てほしい』、『知ってほしい』という気持ちがあると思う。特にジュニアはこれからのスポーツ界をしょって立つ存在。本当に自分に何かできないかと思って、最初は1人で走り出したんです」。
ただ「やりたい」と声を上げただけではない。これまでに下部ツアーの「石川遼 everyone PROJECT Challenge」や、ジュニア大会の「石川遼インビテーショナル ジャパンジュニアマスターズ」などを主催、運営をしてきた実績があった。
「ジュニアの試合は観客を入れるものではないし、クラブハウスに人が集まる理由もない。トイレはしょうがないとして、どうにかクラブハウス内に入らないやり方で、導線も含めて考えていきました」と、これまで一緒に大会を運営してきたチーム一丸となって、安全に開催するための解決策を見いだしていった。
最初は1人で走り出した石川だったが、その“思い”に「全国高等学校ゴルフ選手権」を主催する日本高等学校ゴルフ連盟と、「日本ジュニア」を主催する日本ゴルフ協会が賛同し、企業の協賛も得られた。そんななか「コースが一番ネックだった」と石川は振り返る。「実は霞ヶ関カンツリー倶楽部さんにも相談させていただいたんです」。
霞ヶ関カンツリー倶楽部は、東京五輪の会場で、毎年「日本ジュニア」が行われる会場でもある。高校球児は甲子園、高校ゴルファーは霞ヶ関を目指すのだ。「霞ヶ関カンツリー倶楽部さんでは、やはり両方の声はありました。今年は日本ジュニア中止の決定をしているので、この試合をやるのはどうなのかと。一方でやってほしいという声もありました」。霞ヶ関カンツリー倶楽部での開催は実現しなかったが、「どこをどう当たっていこうかというときに、横浜カントリークラブさんに手を挙げていただいたんです」。
横浜カントリークラブは、14年から2年の歳月と約29億円をかけて西コースの大規模改修を行っている。設計家のビル・クーアと、マスターズ覇者でパットの名手、ベン・クレンショーのコンビが監修した。18年には日本オープンが行われ、そのとき石川は「すごく難しいですね。そして、すごく良いコースです。グリーン周りの作りはアメリカ。ベン・クレンショーですから」と印象を語っている。
つまり、横浜カントリークラブは「世界で戦えるゴルファーの育成には、質の高いコースとセッティングで試合をすることが重要」という石川の考えにピッタリだった。「横浜カントリークラブさんで開催させてもらえると決まってからは、ピンポジションも2日間、自分が決めた」。おかげで、ジュニアたちは普段体験することのない難しいピンポジションや、短く刈り込まれたグリーン周り、複雑なグリーンの傾斜に手を焼くことになる。その証拠に男子ではアンダーパーは4人、女子では優勝した1人しかいなかった。
競技を終えたジュニアの中には何かを感じたのか、「今から練習場でボールを打ってもいいですか?」という選手もいたくらい。これこそが石川の狙いなのかもしれない。
横浜カントリークラブの協力は石川の想像以上だった。「横浜カントリークラブさんには『ぜひ東コースの17番と18番を使って、日本オープンと同じ流れでやってください。一般のお客さんが出る前に、そこを通り過ぎてもらえればOKです』というところまで協力していただいた。涙が出るくらい嬉しい気持ちでしたね」。
このコースは、東コースの18ホールと、西コースの18ホールの計36ホールある。石川も出場した2年前の「日本オープン」では、西コースの16ホール、東コースの2ホールが使われていて、10番ホールは東の17番、11番ホールは東の18番、12番ホールは西の1番というように、変則的なコースレイアウトとなっていたのだ。
試合当日、西コースは貸し切りだったが、東コースは一般客が回っていた。スタート時間をうまく調整することで、男子の部は7,207ヤード・パー71というツアー並みの飛距離で開催することができたのだ(女子の部は6,601ヤード・パー71)。「あとはいかに安全にこの大会を運営するかだけでした」と、ツアーと同じようにPCR検査の導入を決めた。さらに、「費用がハードルになって、出場を断念せざるを得ない状況は避けなければいけなかった」と全員分のPCR検査代を石川が負担したのだ。
「今年なかなか味わえなかった試合の緊張感と、自分が打ち込んできたスポーツの一瞬一瞬の思い出が財産になっていくと思うので、大会を開催したいと思った」。そう踏み出した石川の一歩が、しっかりとしたスピードで走り出し、何もないはずだった“高校の夏”を笑顔に変えた。
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