<日本女子オープン 3日目◇3日◇ザ・クラシックゴルフ倶楽部(福岡県)◇6761ヤード・パー72>
「日本女子オープン」の会場になっているザ・クラシックゴルフ倶楽部。選手がいない朝夕のコースでは、グリーンキーパーたちが日本一の女子ゴルファーを決める舞台を整えている。そして、そのなかの1人にかつて五輪に出場し2度もメダルを獲得した人物がいる。柔和な表情が印象的な74歳の平山紘一郎さんがその人だ。
鹿児島県出身の同氏は、1972年ミュンヘン五輪、76年モントリオール五輪でレスリングのグレコローマン52キロ級の代表に選出。初出場のミュンヘンで銀、モントリオールでは銅を獲得したメダリストだ。30歳で現役引退後は日本代表のコーチ、監督も歴任。在籍していた自衛隊を55歳で定年退職した後は、高速道路のパトロール会社で隊長を務めるなど5年間を過ごす。そして60歳を過ぎてから、この福岡県のゴルフ場でコース管理にあたっている。
かつてレスリングという競技で、世界の頂点を狙った人物は、なぜ今のゴルフ場ライフを選択したのか? その理由は実にシンプル。「ゴルフが好きだから」だ。
平山さんが本格的にクラブを握ったのは、レスリングの一線から退いた後。現役時代にも、減量時に「ボールを1球だけ持って、ウェッジで30ヤードほど転がす。それを打つと取りに行って、また打つ。これを何度も繰り返して体重が200グラムでも落ちたら儲けもんだし、こうでもしないと空腹感をまぎらわすことができなかった(笑)」という理由でゴルフには触れていたそうだ。
引退後にコンペなどに出場するようになり、その面白さにとりつかれた。パトロール会社時代には、休日になるとゴルフ道具を車に積みこんで“プチキャンプ”に出かけ、車中泊をし、起きたら早朝ゴルフを楽しむという日々を送った。「安い値段で1人で気兼ねなくプレーできる。これが一番の楽しみでしたね」。
朝早いコースでプレーしていると、コース管理を行うスタッフも自然と目に入ってくる。「こんな仕事もあるんだなー」。これが現在の生活の原風景になった。ちなみに腕前は「90を切ったら女房に自慢するくらい」だという。
60歳で妻の実家がある福岡県に移り住むと、頭は「どんな仕事でもいいからゴルフ場で働きたい」という思いでいっぱいになった。そして、たまたま通りがかりで目にしたザ・クラシックゴルフ倶楽部の『コース管理者募集』という看板に惹かれ、電話をかけたことが今につながる。「朝早く起きて、健康にもいい。それでお金までもらえる。こんなにいい仕事はない。私にとって最高の巡り合わせなんです」。まさに“天職”ともいえる場所で、充実した毎日を送っている。
そんな愛するコースで、今回“日本”と名のつくビッグトーナメントが開かれたことへの感慨は深い。「夕方など静まり返っている時に整備している時には、『本当にこれだけ静かな場所で日本一を決める大会をやるのか?』と不思議に思います。こんな大きい試合で自分の居場所が用意されているのは幸せなことです」。
この大会期間は、自分が手がけたコースでトッププロがプレーする姿を見るのが楽しくてたまらない。今年は無観客開催のため整備担当者といえど生観戦はできず、もっぱらテレビの前で見守る毎日。自分が担当した10番、11番グリーンが映し出されると、ひときわ力も入る。「バーディが出るとうれしいですね。ただ逆にボギーばかりだと『しっかり刈れてなかったんじゃないか?』と申し訳なくなる。愛着はありますね」。“誇り”と、少しの“心配”が交錯する。
高校時代は、東京など他県に行く列車を眺めながら「全国大会にどうしても出たい」と柔道に励んだ。64年の東京五輪で、日本人金メダル第1号の三宅義信氏を見て、一時は重量挙げの選手も目指した。そして自衛隊に入ったあとに出会ったレスリングで、全国どころか世界に飛び立った。「どうしてもスポーツがやりたい」という気持ちが、その原動力だった。
平山さんには今、「3大スポーツ競技」に位置付けるものがある。それが、この日本女子オープンと、来年の東京五輪、そして2023年に延期が決まった鹿児島国体だ。「今年から3年間続けて行われるので楽しみ。これからもスポーツの感動に出会いたいんです。僕は一生“スポーツミーハー人間”ですから」。そんな平山さんの“推し選手”は、同じ鹿児島出身の勝みなみだそうだ。大会も残すはあと1日。かつて五輪で表彰台に立ったグリーンキーパーは、やっぱり“少しヒヤヒヤ”しながら、最後まで日本一決定戦を見届けるだろう。(文・間宮輝憲)
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