「すごいですよね! 私はそういうタイトルとは無縁だったので」。先週の「日本女子オープン」を制した原英莉花の優勝会見に出席した時、こんな話を聞いたことを思い出した。それは昨年6月の「アース・モンダミンカップ」2日目の会場での言葉。その日、同じ尾崎将司に師事する西郷真央が「日本女子アマ」を制したことを受け、“無名”だった自身のアマチュア時代を思い出しての話だった。
原英莉花、日本一直後にこのガッツポーズ【大会フォトギャラリー】
同学年の小祝さくらとの優勝争いを制し、福岡の地で日本一の証ともいえるチャンピオンブレザーに袖を通した原。最終日も「68」としっかりスコアを伸ばしたうえで逃げ切ったゴルフは圧巻だった。「中学生の時から日本女子オープンは憧れの舞台でした」。6度目の出場で手にした優勝カップには、特別な思いがあった。
その中学時代は部活には所属せず、授業が終わると、クラブを抱えて電車・バスを乗り継ぎ練習場へと向かう毎日を過ごしていた。「マン振り」で右へ左へ飛んでいくショット。「全然いい成績は残せなかった(笑)」という時代だったが、「ゴルフが楽しくて」と熱中していたことを以前、口にしていた。「周りには(日本女子オープンの)予選に出ている友達もいたんですけど、私の実力では(通過するのは)無理だなと2年間くらい諦めていました」。この時の原は、大勢いるジュニア選手の一人で、決して特別な存在ではなかった。
初めてその憧れの舞台に立ったのは、「たまたま予選を通った」と振り返る石川県の片山津ゴルフ倶楽部 白山コースで行われた2015年大会だった。結果はトータル12オーバーで85位タイの予選落ち。「こんなところでいつか勝てる日が来るのかな」。この時、高校2年になっていた当時の原は、こんなことを感じていたという。
そして2度目のナショナルオープン挑戦となった翌16年大会では、同級生の畑岡奈紗がアマチュア優勝を成し遂げた。原はトータル10オーバーで2年連続の予選落ち。「この大会で勝った奈紗ちゃんを見て、『すごいな』って感心するしかなかった」。それから4年。「同じトロフィー持っていることはうれしく思えます」と感慨は深い。
高校卒業後、初めて受験した17年の日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)プロテストは「OBを6回も打って」合格に2打届かなかった。翌年のツアー出場権をかけて臨んだ同年のQTも、ファイナルまでたどり着かず3次で敗退した。優先出場権(QTランク)は117位と、その資格だけではレギュラーツアーにはほぼ出場できないという立場でトーナメント生活がスタートした。この後、その潜在能力が花開くことになるが、決してエリート中のエリートではなかった。
今年の日本一を決める大会で優勝を争った小祝も、アマチュア時代に大きな注目を浴びる選手ではなかった。地元・北海道では多くのタイトルを獲得し、16年の「ニッポンハムレディスクラシック」で2日目まで首位に立つ活躍を見せたことで知名度も広げたが、世間的には同じ年にプロ入りした勝みなみや新垣比菜らに比べると“セカンドパーティ”という位置づけだ。世代の筆頭ではなかった選手が、プロで成長し日本女子オープンというビッグタイトルを争った4日間は、スポーツの面白さを感じる時間だった。
思えば渋野日向子も、無名選手から一躍日本のゴルフ界を代表する選手になった。黄金世代に関わらず、今後もこういうサクセスストーリーを目にすることができるだろう。原は、かつてあ然とさせられた日本女子オープンで優勝することができた要因を「経験」と言った。急成長するタイミングは人それぞれだ。
「私は小さい時に成績を出せなくて、(勝)みなみちゃんや(畑岡)奈紗ちゃんとかを『すごい』と思って見ているタイプでした。でも強い気持ちを持っていれば上にいけるんだなと思えた。もともとの差が大きいので、まだ差はあるけれど、一歩一歩縮めていきたいですね」
原のこの言葉はこれからプロを目指すジュニアゴルファーだけでなく、他の世界の多くの人たちに対しても励みになるものではないだろうか。かつて“無縁”だった日本タイトルをつかんだ21歳の姿を見て、こんなことを思った。(文・間宮輝憲)
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