米ツアーの「シュライナーズ・ホスピタル・フォー・チルドレン・オープン」は、スコットランド出身のマーティン・レアードが3人によるプレーオフを制して通算4勝目を挙げた。膝の故障から這い上がり、7年ぶりの復活優勝。思わず溢れ出した涙に彼の苦悩の日々を垣間見た。
かつてはスリムだったデシャンボー【写真】
だが、今週のゴルフ界の話題の中心は、米国でも世界でも、ブライソン・デシャンボー(米国)だった。
というのも、欧州ツアーの「BMW PGA選手権」に出場していた英国人のマシュー・フィッツパトリックがデシャンボーを激しく批判。米国でも物議を醸している。
フィッツパトリックいわく、デシャンボーのように体重を増やして飛距離をアップすることは「やろうと思えばできるが、僕はやらない。ゴルフはスキルを競うゲームだから」。そして「デシャンボーはゴルフを愚弄(ぐろう)している」と批判した。
こういう批判が出るのは時間の問題だろうと思っていた。なぜなら歴史は繰り返すからだ。1995年「全米オープン」でショートヒッターのコーリー・ペイビン(米国)がパワーヒッターのグレッグ・ノーマン(オーストラリア)を抑えて勝利したときは「これぞゴルフ」と絶賛された。
だが、タイガー・ウッズ(米国)登場以後の米ゴルフ界は、ウッズのように「飛ばせる道具」の開発競争となり、2000年代のゴルフ界はパワーゲーム化が急激に加速。飛距離が出ないニック・プライス(ジンバブエ)らは「これはゴルフではない」「ゴルフが変わってしまった」と激しく批判。そして、悲嘆にくれた。
当時、ウッズは誰よりも肉体を鍛え、誰よりもパワフルなプレーでゴルフ界を席巻した。そんなウッズに凌駕されたオーガスタ・ナショナルは「ウッズ対策」としてコース大改造に踏み切り、その結果、技を競い合っていたオーガスタ・ナショナルは距離的にタフなコースへ一変した。
フィッツパトリックの主張に基づけば、由緒あるオーガスタ・ナショナルにそんな変貌を強いたウッズもゴルフを愚弄していたということになる。だが、ウッズこそがゴルフ界のサクセスストーリーの主人公であることは、否定しようもない事実。もはや世界の常識だ。
デシャンボー自身はフィッツパトリックの批判を静かに受け止め、こう言った。
「僕はパワーアップのみならずスキルアップにも努めている。実際、僕のショットは以前より格段にストレートになっている」
そう、デシャンボーが伸ばしつつあるものは飛距離だけではない。彼は「食」を研究し、肉体を鍛錬し、技術もメンタルも必死に磨いている。言い方を変えれば、人一倍、努力と研究をしている。
もしもデシャンボーがルール違反をしてパワーゴルフを実現しているのなら、それはゴルフへの愚弄だ。しかし、彼は何一つ責められることはせず、正々堂々と戦っている。
今週のシュライナーズ・ホスピタル・フォー・チルドレン・オープン初日、デシャンボーはティからドライバーでグリーンを狙い、「パー4がパー3のようだ」と人々は口をそろえた。1ラウンドでイーグルトライを5回も迎え、軽々と「62」をマークして首位発進した。
だが、3日目は「これというミスをしたわけではないが、なぜかボールが悪いほうへ悪いほうへ行ってしまった」。スコアが伸びるTPCサマリンでイーブンパーにとどまり、一気に後退したデシャンボーは「これがゴルフだよね?」と苦笑。最終日は再び5つ伸ばして猛追し、8位タイに順位を上げたが、巨体と豪打を手に入れている彼とて毎週勝てるわけではない。それは、ゴルフ。それが、ゴルフというものだ。
その通り、デシャンボーは、ちゃんとゴルフをやっている。ただし、彼は同時に、みんながやらないこともやっている。
「それがいいと思ったら、それをやればいい。ワンレングス・アイアンも、そう。ゴルフだけではなく、ビジネスでも人生でも、いいと思ったら、やればいい」
「やればいい」という一言は、デシャンボーが大西洋の向こう側へ静かに叩きつけた「やってみろよ」の挑戦状。そして、フィッツパトリックが対岸から放った批判の声は、負け犬ではないが、遠吠えである。
来月、デシャンボーは48インチのドライバーを携えて「マスターズ」に挑む。その姿を見て、いいと思った人は、長いドライバーを手にすればいい。
答えはシンプル。それだけのことだ。
文・舩越園子(ゴルフジャーナリスト)
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