プロアマ形式で本戦を戦ってきた伝統的なプレースタイルを、コロナ禍の今年はプロのみが戦う「フツウのスタイル」に変更して開催された「ザ・アメリカンエクスプレス」。2日目には大会アンバサダーのフィル・ミケルソンが18ホールをすべてパーで回り、ちょっとした話題になった。
ゴルフは自然との戦いであり、コースとの戦い、自分との戦い、そして何より「パーを相手に戦う」と言われるが、意外にもミケルソンが試合で18ホールをすべてパーで回ったのは、キャリア2201ラウンド目となった今回が初めてだったそうだ。
ゴルフの大会において「パーとの戦い」の筆頭と言えば、誰もが思い浮かべるのは、ミケルソンが惜敗を繰り返してきた全米オープンだ。もしも全米オープンの舞台をすべてパーで回ることができていたら、ミケルソンはすでに全米オープンを制し、グランドスラムを達成していたのかもしれない。
だが、追いかければ追いかけるほど遠のいていくのがゴルフの難しさであり、面白さでもあり、不思議なところでもある。だからこそ、ゴルファーはゴルフを愛し続けるのではないだろうか。
ミケルソンはせっかくキャリア初の「18ホールすべてパー」を達成したにも関わらず、結果は予選落ちだった。それでも「フェアウエイを捉え、グリーンを捉え、いいパットができた証だ。とても嬉しい」と素直に喜ぶ彼の笑顔に、どこか救われた想いがした。
大事なのは、記録より地道な歩みだ。いいことも悪いことも受け入れ、コツコツ努力して進んでいく。それがゴルフにおいては成功への唯一で一番の近道なのだと思う。
最終日。優勝争いは混戦状態だったが、その混戦を突き抜けて先に首位フィニッシュしたのは28歳の米国人、パトリック・キャントレーだった。首位から4打差の13位タイからスタートしたキャントレーは、この日、11アンダー、61という爆発的スコアをマークし、PGAウエスト・スタジアムコースのコースレコードを更新。通算22アンダーの単独首位でホールアウトした。決勝2日間で奪った合計20バーディは1983年以来のツアー記録となった。
しかし、そうした記録の数々をもってしても、着実な歩みを絶やさなかったキム・シウーを抑えきることはできなかった。最終日を首位タイで迎えたキムは、途中でキャントレーの猛追に捉えられ、追い抜かれても乱れることなく戦い切り、見事、米ツアー通算3勝目を挙げた。
16番のバーディでキャントレーに並び、17番のバーディでキャントレーを上回り、18番はしっかりパーで上がって1打差で勝利。25歳とは思えないほどの冷静沈着な戦いぶりは圧巻だったが、そのキムも若くして米ツアー参戦を開始して以来、地道な歩みを7年も続けてきたからこそ、ステディなプレーを身に付けることができたのだと思う。
キムはQスクール(予選会)が米ツアーへの最後の一発勝負となった2012年に17歳で挑戦し、20位に食い込んで2013年の出場資格を獲得した。しかし、18歳に満たなかったため、即座にツアーメンバーになることが許されなかった。
そして6月の誕生日を待ってシーズンの残り試合に出場したが、惨憺たる成績でシード落ち。2014年と2015年は下部ツアー行きとなったが、その2年間で土台を固め、2016年に米ツアーへカムバック。その年のウインダム選手権で初優勝を挙げた。優勝インタビューの際、次なる目標は「この優勝でもらった2年シードが切れる前にもう1勝」と語った姿がとても印象的だった。
その言葉通り、翌2017年に「第5のメジャー」と呼ばれるプレーヤーズ選手権を制した。そう言えば、優勝の翌日、キムが格安航空会社のエコノミークラスの3人がけの席の真ん中に座って次の試合会場へ移動していたという話を久しぶりに思い出した。
以後は不調に陥り、優勝から遠ざかっていたが、それでもこの1年半はコーチのクロード・ハーモンの指導下で技術向上にコツコツ励み、世界ランクは96位まで後退していたが、自信は徐々に取り戻しつつあった。
「優勝のチャンスは毎年あったけど、この4年ほど、どうしても勝てなかった。だから、この優勝の意味は大きい。自信が高まった」
溢れ出した涙は、地道な歩みの結晶だ。コツコツ努力を積んでいれば必ず報われることを、この日、キムが実証してくれた。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)
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