創設から50年以上が経過した日本の男女ゴルフツアー。これまで多くの海外選手が海を渡り日本ツアーにやってきた。そこで、記憶に残る名プレーヤーたちを写真で振り返る。今回はイ・ボミ、キム・ハヌルよりも先に韓国賞金女王の肩書きを引っ提げて日本ツアーに挑んだナ・ダエ。
済州島出身で1987年に生まれたダエは、12歳からゴルフを始めるとメキメキ成長。2006年に韓国でプロ転向すると、07年にアジアンツアー、欧州ツアーとの三者共催となった韓国ツアー開幕戦で初優勝。同年、アジアンツアーの賞金女王にも輝いた。そして08年のファイナルQTで49位に入り、日本ツアーの門を叩く。
だが、道のりは険しかった。09年は17試合に出場したものの賞金ランキング66位でシード獲得ならず。さらに10年は痛めた左手首の影響でレギュラーツアー出場はなし。ツアー復帰した11年も賞金ランキング137位、12年は惜しくも同52位と思うような結果を出せなかった。
ようやく実力を発揮できたのが13年。開幕2戦目の「ヨコハマタイヤレディスPRGRレディス」で4位タイに入る幸先のいいシーズンスタートを切ると、8月の「meijiカップ」でうれしい日本初優勝。同時に日本に参戦してから初めてとなるシードも獲得した。
翌14年も賞金ランキング42位で2年連続となるシードを獲得したが、15年は55位とシード陥落。16年は3月に2試合に出場したものの成績を出せず、4月以降は母国のツアーに専念。そして18年を最後に、ツアー引退を表明した。
そのほか、意外な部分としては、日本に参戦してから始めたパン作りにハマっていたという。また、韓国南部の済州島出身ながら白く透明感のある肌はカメラマンのあいだでも評判で、「向こう側が透けて見えた」という冗談が聴こえるほどだった。
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