ブライソン・デシャンボーがアーノルド・パーマー招待を制し、勝者に授けられる赤いカーディガンを羽織った姿を眺めていたら、「寵児」という二文字が頭の中に浮かび上がった。
最終日は4月に48歳になる英国人、リー・ウェストウッドと27歳のデシャンボーの一騎打ちの様相。年齢の差、パワーの差は、言うまでもなく歴然としていたが、それでも最後までどちらが勝つかわからない展開に持ち込んだことは、ウェストウッドの大善戦だったと言えるのだろう。
欧州ツアーの昨季ポイントレースで総合優勝したウェストウッドは、シニア入り目前の今でも「飛距離も熱意も失っていない」。
しかし、最終日は14番で3パットのボギーを喫し、16番は短いバーディパットを外して絶好のチャンスを自ら逃した。それは、スタミナ切れが招いた集中力と持久力の喪失によるものだったのかもしれない。
そして72ホール目のティショットがフェアウエイの真ん中の小さなディボットに転がり込んだことは、勝利の女神がデシャンボーを勝たせることに忙しすぎて、ウェストウッドには気が回らなかったからに違いない。
この日、デシャンボーには不思議な力が感じられた。彼を支えよう、勝たせようとする力が彼に集まってきていると感じた。
戦いの場は、デシャンボーが敬愛してやまないアーノルド・パーマーのお膝元、ベイヒルだ。パーマーは2016年9月25日に逝ってしまったが、そのパーマーが亡くなる直前にデシャンボーに出した手紙が「パーマーが亡くなった1週間後に僕に届いた」。
当時のデシャンボーは2015年全米アマを制し、2016年にプロ転向して下部ツアーで初優勝を挙げたばかりで前途洋々だった。「パーマーはゴルフ界の未来をとても気にかけていた。パーマーはゴルフという枠を超えて僕の人生を変えた存在だ」。
パーマーからゴルフ界の未来を託され、今は亡きキングの願いを胸に抱いて最終日を戦ったデシャンボー。彼が被っていたのは、ベン・ホーガンを象徴するハンチング帽。そんなふうにデシャンボーは歴史の偉人たちへの尊敬と敬愛の念にあふれている。だからこそ彼はレジェンドから愛されるのかもしれない。
最終日の朝、「タイガー・ウッズからメールをもらった」。2月23日に交通事故で足に重傷を負い、いまなお入院しているウッズから「頑張れ!戦い続けろ!」と激励されたデシャンボーは、授けられたさらなるパワーを感じながら1番ティに向かった。
振り返れば、昨年の全米オープンで快勝したデシャンボーは、その後も体重アップ、飛距離アップ、ドライバーの長さアップに躍起になっていたが、その勢いのまま臨んだマスターズでは原因不明の体調不良に陥り、34位タイに終わった。
その後は、心臓や脳、目、耳、首筋の血流にいたるまで、あらゆる検査を受けたが異常は認められず、最終的には過度の緊張によって脳の前頭葉が過敏に反応することによる神経性の体調不良と診断された。そして、規則正しい生活と睡眠、リラックスと深呼吸を心がけ、体調もゴルフの調子も我慢強く徐々に整えながら今大会を迎えた。
その忍耐の日々は、彼のゴルフにも我慢強さをもたらしたように思う。今大会のデシャンボーは、攻守双方を使い分け、3日目からは左ドッグレッグのパー5の6番で、いきなりほぼグリーン方向を狙う果敢な攻めに出て大勢のファンを沸き上がらせた。最終日も6番は攻め、11番ではミラクルパットを沈めてボギーを回避し、ピンチを脱した。
かつてパーマーもウッズも、大観衆をパワーで沸かせ、さらにミラクルで沸かせた。その両方をここぞという場面で披露し、そして勝利する。だから彼らは「時代のスター」となり、「時代の寵児」と呼ばれた。
パーマーにもウッズにも勝利の女神にさえ愛され、通算8勝目を挙げてフェデックスカップ・ランキング1位、世界ランキング6位に浮上したデシャンボーを、コロナ禍で暗くなりがちな今の時代を沸かせてくれる「寵児」と呼ばずして何と呼ぶ。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)
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