2015年に「マスターズ」、「全米オープン」とメジャー2冠を手にし、世界1位に立ったジョーダン・スピース。当時の勢いは暫くなりを潜めていたが、ようやく光を取り戻した。
地元のテキサスで行われた「バレロ・テキサス・オープン」で、4年ぶりの復活優勝を遂げたのだ。
19歳でスポット参戦した2013年「ジョン・ディア・クラシック」で初優勝。10代でのツアー優勝は82年ぶりで、タイガー・ウッズさえ成しえなかった偉業だ。飛ぶ鳥も落とす勢いでツアーメンバー入りを果たしたはずだが、今や世界ランクは50位台に陥落。優勝から遠のいていた間、スピースに何が起こっていたのか。
「うまくいかない部分がいくつもあった。闘争心もあって、自分自身は何も変わっていないつもりなのに、クラブを上げると迷ってしまう。イラだった」
数字を見れば、スピースの迷いは一目瞭然だ。直近で優勝した17年シーズン、ストローク・ゲインド:ティ トゥグリーン(ショットのスコアに対する貢献度)はツアー2位。ところが、19年は157位まで低迷し、ようやく90位まで戻ってきたのは昨シーズンだった。
「スランプに陥ったのは生まれて初めて。対処する方法を試行錯誤しながら毎年戦っていたが、試合の場でそれをやるのは難しかった。ただ同時に、成長するための試練なんだと思うようになった」
12歳のころから師事するスイングコーチ、キャメロン・マコーミック氏と試行錯誤を続ける日々。今シーズンに入ってタイガーらを見てきたブッチ・ハーモン氏にもアドバイスを求めたが、これが大きな一歩だった。
「自分たちの取り組みを見てほしいといわれた」
とハーモン氏は振り返る。
「スイングのトップでクラブフェースの向きを変えたほうがいいと思った。スピースは左手のグリップがウィークだから、どれだけフェースが開いていたかが分かるが、2人はうまく調整していた。やっていたことの賛同できたよ。ただ捻、転が足りないと思ったね」
スピース自身も素直に耳を傾けた。
「多分、僕は頑固だった。必要な人にさえずっと連絡できずにいたんだ。心に余裕がなかった」
そんな暗闇から脱出の兆しが見えたのが、今年2月の「ウェイスト・マネジメント・フェニックスオープン」。3日目に10バーディを奪って自己ベストタイの「61」をマーク。首位タイに立ち、最終日最終組は約2年半ぶりだった。
翌週の「AT&T ペブルビーチ・プロアマ」で3位タイ、「アーノルド・パーマー招待」の4位タイ、「WGC-デル・テクノロジーズ・マッチプレー」で9位タイと、上位に顔を見せる回数が圧倒的に増えた。
「ようやく、ずっと欲しかった心の余裕が出てきたんだ」
18年「マスターズ」で最終日に9打差から「64」の猛追を見せたのを最後に、低迷期が始まったスピース。2シーズン連続でツアー選手権にも残れなかった。
“誤った打ち方で何万球も打ったら、取り戻すには同じ球数が必要だ”
という言葉があるが、まさに今までのスピースがそうだった。決して楽な道のりではなかったが、それでも「ゴルフは面白い」と語る。
「自分が本当に楽しめることをできる喜びは、当たり前だと思ってはいけない。今、そう思えることを本当にうれしく思う」。
その表情には、静かな自信がみなぎっていた。
【マイク・マックアリスター著】
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