今年の海外メジャー第2戦「全米プロゴルフ選手権」がいよいよ17日に開幕する。4月に行われた「マスターズ」で日本人初のメジャー王者となった松山英樹が次に狙うメジャータイトル。松山のエースキャディを6年間務め、今大会もゴルフネットワークでTV解説を務める“大ちゃん”こと進藤大典氏に、2017年の涙の敗戦について振り返ってもらった。
■会場の空気が“松山連勝”に傾いていた
全米プロと聞いて、2017年の戦いを真っ先に思い浮かべるゴルフファンは多いのではないだろうか。松山英樹が最終日のハーフターンで単独首位に立ったあの大会だ。
16年は春から7月中盤まで不振に陥った松山だったが、7月下旬の全米プロで4位タイに入ると、そこからスーパーシーズンが幕を開けた。3週後の「ウィンダム選手権」で3位タイに入ると、プレーオフシリーズ最終戦でも5位タイ。新シーズンの「CIMBクラシック」で2位、そして10月の「日本オープン」制覇を皮切りに「WGC-HSBCチャンピオンズ」、「三井住友VISA太平洋マスターズ」、「ヒーローワールドチャレンジ」でも勝利。年明けの「ウェイスト・マネジメント・フェニックス・オープン」で大会連覇。メジャー制覇が迫っているのは誰の目にも明らかだった。
6月の「全米オープン」でも2位、そして全米プロ前週の世界ゴルフ選手権シリーズの「WGC-ブリヂストン招待」では最終日に「61」を叩き出して圧勝。「間違いなく自分たちがいちばん優勝に近い位置にいるなと肌で感じていました」と進藤氏は振り返る。
「2月のフェニックスで勝って、全米オープンでも2位。その前の年のマスターズでも優勝争いに絡みましたし、直前の全英オープンでも優勝が狙える位置で最終日に入りました。メジャーで勝つための準備が整っているのを感じていましたし、もちろん勝つと思って入りました」
会場の雰囲気も“松山連勝”を期待する空気が流れていた。「世界ランキング2位のヒデキが来た!という雰囲気がありましたし、練習日からそれを肌で感じながらやっていたのを覚えています」。すべてが注目される中で、大一番がスタートした。
■感じたことのないプレッシャーに襲われた最終日のバックナイン
「前の週の優勝で自信も勢いもあって、余裕を感じることができていました。ゴルフには余裕が大事で、プロももちろんキャディもそういうときはいいアドバイスができますし、そういう感覚が大会中もありました。例えば、『ここはボギーで仕方ない』と思ったところでパーが獲れたりと、いい方向に向かっていったんです」
初日に1アンダーと上々の滑り出しを見せると、2日目は「64」のビッグスコア。競技は悪天候のため翌日順延となったが、トップタイの位置で大会を折り返した。第3ラウンドは2つ落としたものの、首位と1打差の2位タイ。下馬評通りの位置で最終ラウンドを迎えた。
ボギー先行のラウンドとなった最終日だったが、7番、8番で連続バーディ。ついに単独首位に立った。松山にとってメジャーで単独首位に立つのは初めてのこと。勝負のサンデーバックナインに首位という最高の位置で向かったが、「考えてはいけないんですけど、あと数ホールでメジャーが獲れる、と考えてしまったんです」と進藤氏。「分かってはいたんですけど、ものすごいプレッシャーが襲ってきました。初めての経験でした」。栄冠へと続く道。最後の直線に入った途端、何かが狂ったという。
進藤氏が回顧する。「1打のリードのなかで競っていました。そこからひとホールずつ集中して消化すればいいのですが、どこかで意識し過ぎたのかもしれません」。10番でもバーディを奪いながら、11番から痛恨の3連続ボギー。「11番のティに立ったときに、違う感覚があったんです」。
14番、15番で連続バーディを奪う巻き返しを見せたが16番で1.5メートルのパーパットを外し万事休す。「キャディとしてちゃんとしたアドバイスをしないといけないのに、ナチュラルにそれができていなかったのかもしれません。正直、何を話していたか覚えていません。それくらいプレッシャーの中にいたのでしょう」。想像を絶する重圧との戦いだった。
■まさか負けるなんて… 信じていた勝利がこぼれ落ちた
最後は同組のジャスティン・トーマス(米国)に優勝をさらわれた。敗戦が決まったとき、進藤氏は何を思ったのか。「処理しきれない感じでした。まさか負けるなんて、という感じです。自信過剰というわけではなく、それくらい信じていないとメジャーでは戦えないんです。何かが抜け落ちる感じ、そのときはそんな気持ちでした」。
ホールアウト後、松山はテレビインタビューで涙をこらえたが、終わった瞬間うずくまり、涙を流した。そのとき進藤氏は、静かに車で待っていた。敗戦直後の帰路。「何を話したか…、覚えていません。全米プロが終わると、次の4月までメジャーがないんです。長いな…、そう思いましたね」。シーズン最後のメジャーで悔し過ぎる敗北。気持ちを立て直すまでに時間がかかったのはいうまでもない。
その後、松山は勝利から遠ざかり、進藤氏も18年末をもってキャディ業から離れた。そして今年、松山はついにメジャーチャンピオンに上り詰めた。その横に進藤氏はいなかったが、松山と進藤氏が歩んだ6年間、そしてこの敗戦は、この偉業のための序章だった。
■進藤大典
しんどう・だいすけ 1980年生まれ。京都府出身。松山英樹と同じ明徳義塾高、東北福祉大ゴルフ部出身の経歴。2003年1月から同級生の宮里優作の専属キャディとなりツアーを転戦。同年3月に大学卒業。その後は谷原秀人の専属キャディとなり06年にツアー初優勝に貢献。09年には片山晋呉の専属キャディ、13年から松山英樹の専属キャディとなり、18年まで務め、米ツアー5勝を果たした。岩田寛も大学の同級生。現在はテレビ解説や執筆業、講演なども行う。
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