圧倒的な飛距離と切れ味鋭いアイアンショットを武器に、2013年に年間4勝を挙げて賞金女王のタイトルを獲得した森田理香子。さらなら活躍が期待されたが、その後は下降線をたどり、16年にはついにシード権を手放す。18年の「ニチレイレディス」を最後にツアーには出場していないが、一体何があったのだろうか。4回にわたり、森田の過去、現在、未来に迫る。今回は賞金女王戴冠後について。
13年に賞金女王を獲得した翌年、森田理香子は開幕3試合目の「Tポイントレディスゴルフトーナメント」を制している。2位以下に4打差をつける圧勝劇だった。「全然ボールが曲がらないんですよ。練習していてもつまらないほど調子がよかったですね」とショットは前年以上に好調だった。2年連続賞金女王に向けて視界良好と周囲は盛り上がったが、森田の心の中はいい意味でも悪い意味でも波立つことはなかった。
「燃え尽きていたんでしょうね。一番になりたいと思って必死で練習してきた結果、賞金女王のタイトルを獲得しましたが、その目標を達成したことで、気持ちが抜けてしまったんです」
心技体ということばがあるが、人によってはメンタルよりもフィジカルやテクニックのほうが大切だという。森田も13年までは体技心の順でフィジカルを最も重視していた。
「強い体をつくって、技術があれば、心は勝手についてくると思っていたんです。でも、いろんな経験をするうちに、やっぱり心技体が正しいんだなと思うようになりました。やる気がなければ何も始まらないんです」
実際、14年以降の森田にはやる気を引っぱり出すだけの目標がなかった。言い方は悪いが、ただ試合に出ているに過ぎなかったのだ。心にスキが生まれると、技術にもほころびが出てくるのか、14年の「ニトリレディス」でいきなりシャンク病に襲われる。ティショット、セカンドショットに関係なく、まさかのタイミングでボールは右斜め45度に飛んでいく。ひどいときは1ラウンドで3回もあったほどだ。
さらに、追い打ちをかけるようにアプローチイップスにも見舞われる。「シーズン途中からアプローチするのが怖くなりました。どうやったら普通に打てるのか、それだけを考えていたぐらいです」。この時点で森田の頭の中には試合で勝つという意識は完全に消え去っていた。当然、体のメンテナンスを行う余裕もなかった。いくら賞金女王とはいえ、心技体が完全に崩壊した状態ではシード権を守ることすら難しくなる。16年に賞金ランキング69位まで落ちると、17年は89位に、6試合にしか出場しなかった18年は131位にまで順位を下げた。
「18年のニチレイレディスが最終戦となりましたが、自分の中ではこの試合を最後にしようと決めていたんです。ただ、引退といってしまうと、もうトーナメントには出場できなくなるじゃないですか。それでしばらく休みますという表現をしていました」
今にして思えば、そのニチレイレディスでは予選落ちしたものの、森田の表情はどこかすっきりとしていた。ことばでは、「セカンドQTに向けていい収穫もあったので、しっかりと調整します」と語っていたが、結局、セカンドQTに出場することはなかった。内心では第一線から離れるけじめをつけていたのだ。
「たまたまこの年でお世話になっていたスポンサーの皆様とも契約が切れるタイミングだったんです。ありがたいことに更新するとおっしゃっていただきましたが、申し訳ないのでお断りさせていただきました」
同じタイミングで祖父が経営していたゴルフ練習場が閉鎖したことも、クラブを置く方向へ背中を押したという。ツアープロ・森田理香子は18年限りで終止符を打つことになった。(文・山西英希)
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