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「目をつぶったらもう二度と開かないんじゃないか」 山崎泰宏が感じた“死の恐怖”【心筋梗塞からのフルスイング】

昨年4月にドラコン大会の会場で心筋梗塞を発症したドラコンプロの山崎泰宏は、手術により一命をとりとめ、その後、ドラコンプロとして現役復帰を果たす。誰もが不可能と考えた山崎の復活劇を追ったドキュメント。
今回のテーマは、『死の恐怖と向き合った1週間』。
宇部興産中央病院で心筋梗塞の手術を受けた山崎は、手術前に執刀医の濱田頼臣医師からインフォームドコンセントのガイドラインに沿った手術に関する説明を受け、自分が「このまま放っておいたら死ぬかもしれないし、手術中に死ぬ可能性がある」という極めて深刻な状態にあることを知る。
51年の人生で初めて『自分が死ぬ』かもしれないという現実を突きつけられた山崎は、そのときの気持ちをこう振り変える。
「ああ、もっと早く来なきゃダメだったなとか、我慢したのがいけなかったなといった後悔が大きかった。まあ、ちょっと切なかったですね。でも今更ジタバタしてもしょうがない。人間死ぬときって案外こんなに簡単にいっちゃうんだなって、なんか受け容れちゃったんです。それよりとにかく今気持ち悪いコレをなんとかしてほしい、手術をしてほしいという気持ちでした」
手術により一命を取り留めた山崎は、死ななかったことで手術の翌日から『死の恐怖』と向き合うことになる。
「手術終わっても生きていたから、俺本当に死ぬのかな、医者も大袈裟に言って脅かしているんじゃないかって、ちょっと思いました。でも、医者は決して大袈裟に言うことはないし、事実しか言わないんですよね。楽観的なことも期待させるようなことも言わないです。手術が終わってICUに戻ったときに、先生から状態や検査の数値を聞いたので、それを全部自分の携帯に入れてベッドで寝ながら調べたんです。夜中も寝ないためにずっとiPhoneで心筋梗塞に関することを見ていました」
夜も寝ないでiPhoneで検索をし続けたのは自分の病状を調べる以外に、もう一つ理由があったのだという。
「手術終わってから数日間は寝るのが怖かったんです。死ぬかもしれないと言われていたから、目をつぶったらもう二度と目が開かないんじゃないかって、そんな恐怖心がありましたよね。それで寝ないようにiPhoneでずっと心筋梗塞に関することを見ていたんですが、それでも夜4時半くらいに『あ、寝ちゃった』って気づいて、ドキッとして起きるんです。そうすると点滴の機械の緑と赤のライトがチカチカ光っているのが目に入ってきて。その光を見た時に、『ああ、まだ生きていた』と実感するんですよ」
このiPhoneによる検索によって山崎は安心を得るどころか、自分が未だ確実に生き続けられるとは言えない状況にあることを思い知らさらされたのだ。
「今の世の中がすごいのは、ネットで調べると現実がわかってしまうんですよ。例えば、心筋梗塞は発症後20分から心臓の壊死が始まって、2時間以内に手術できれば後遺症はあまり残らないけど、それを越えると時間が経つほど助からない確率は高くなってくるんです。でも僕の場合、手術したときには発症後10時間以上経っていた。筋肉の細胞が壊れたことを表すCPK値というのがあって、これが高いと心臓の壊死が多いということなんです。正常値はだいたい40〜250と書かれているんですけど、僕が手術後に先生から聞いた数値は1万に近かった。検索して見れば見るほど条件が揃い過ぎているから、『ああ、やっぱり俺死ぬんだな』って思いました」
栄養を与える点滴や血圧などを調べるなど、生命を維持するためのチューブ類を何本も体に付け、かろうじて心臓を動かしているような状態は、「スパゲティ症候群」とも呼ばれる。心筋梗塞などの急性の病気や事故などの場合は必要な治療だが、例えば癌の末期患者などに施される延命治療のようなケースには賛否両論がある。山崎は手術後の数日間、まさにこのスパゲティ症候群状態だったのだ。
「手術後の7日間くらいは、左手首や右腕など点滴は8本で、右の太モモの付け根には大動脈から心臓にカテーテルが入っていて固定され、体も縛られていて。小便は管で、大便はおむつです。だからもしこの状態のままずっと生きていくのだとしたら嫌だなと思いましたね。よくみんな『生きてるだけで丸儲け』って言うけれど、死にかけた人間だから言えるんだけど、寝たきりで1円も稼げないで家族の負担になるとしたら、生きているけど丸儲けとは思わないです。ずっとこんな人生を送るのなら死にたいと、それは思いましたね。これで年間何百万円もかかるとしたら娘の人生やかみさんの人生を奪っちゃう。それなら今死んで保険金が下りた方がどれだけ家族に幸せを与えられるだろうと思いました」
手術後6日間は予断を許さない状況が続き死を意識する毎日であったが、7日目に事態が一転する。
「7日くらい経って、心臓の動きがちょっと落ち着いてきた時に先生に、『俺、死なないかもしれないね』って冗談で言ったんですけど、その日の夕方に先生がエコーを見て心臓の上の方の弁が前より動いているので、『造影剤で心臓の検査してみようか』って言ったんですよ。それで、『アレ、もしかして俺生きられるんじゃないかな』って思ったんですよ」
9日目に検査をすると、それまで数値的にも希望が持てなかった山崎の心臓に明らかな快方の兆しが表れたのだ。
「レントゲン撮っている人が、『心臓が黄色くなったら心臓に血が流れている証拠だからね』と教えてくれて。それでモニターで見ていたら、『うわ、真っ黄色だ!』ってなった。僕の心臓は毛細血管までは死んでいなかったんですよ。その検査の結果を見た先生が、『山崎さん、いいかもしれない』って言ったんです。それを聞いて初めて、『あ、俺死なずに済むかも』って思えたんですよね」
心筋梗塞を発症して以来、一週間に及んだ『死の恐怖』との対峙を終え、山崎の体は息を吹き返したのである
「点滴の数が8本、7本、6本と減っていき、13日目に右足の付け根に入っていた心臓にカテーテルを入れるための管が取れて、その止血が終わって傷口が開かなくなって明日一般病棟に移りますと言われたのが手術から2週間後でした。看護師さんからは『山崎さん、点滴が減っていくことは健康になっているということなんですよ』と言われ、ああ自分はちょっと元気になったんだなって思いましたね。心臓の鼓動は毎日、先生がエコーをやりに来るので、そのときに『ドッ、ドッ、ドッ』って、動いているのが見えるんです。毎日見ていると日増しに良くなっているとか、今日は弁が動いているとか、そういうのが全部見えるんですよ」
私たちは普段、生きている実感などを感じることなく漫然と生きているが、『死と向き合う7日間』を経験した山崎にとっては、一本一本減っていく管や画面に映るドッ、ドッという蠢動は、目で見て肌で感じることが出来る自分が生きている実感であり、その増減は彼に生きる希望を与えたのである。(取材・文/古屋雅章)
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