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「涙が出ちゃいました」世界のオカモトの祝福に感激した飛躍へのきっかけ【名勝負ものがたり】

歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまでの鮮やかな記憶。かたずを飲んで見守る人の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。
1996年8月11日。この日、軽井沢72東コース18番での出来事を、福嶋晃子は26年経った今でも決して忘れない。NEC軽井沢72ゴルフトーナメント最終日。同じ最終組でプレーしていた大先輩、岡本綾子に、フェアウェイで肩を叩かれたシーンだ。少し手荒い、ぶっきらぼうな祝福に「ああ、勝ったんだな」と、感激した。
1987年に米国人以外で初めて米ツアー賞金女王となり、メジャーでも優勝争いを繰り返した岡本の実績については、改めて説明するまでもないだろう。プロの先輩としてその実績だけでなく「岡本さんは別格、誰よりもすごい」と、福嶋が尊敬してやまないのがその「小技」。高校卒業後、アメリカのミニツアーでプレーしていた時期に、試合に出ている岡本を見に行ったこともあるほどだ。「衝撃を受けました。目が点だった」と、あこがれ、機会がある度にひたすら見る。そんな存在だった。
テレビ番組の撮影などで一緒になるときも「ヘッドの入り方とかをじーっと見て、真似する」ことは続いたが「今でもあんな風にはできないです」と苦笑する。
尾崎将司(ジャンボ)や青木功らの師匠でもあった林由郎に、ジュニア時代から指導を受けていた福嶋は「見て、真似て覚える」ことが身についていた。岡本は最高の“お手本”だった。
1992年にプロになった福嶋の初優勝は、1994年ダイキンオーキッド。以来、女子の中では突出した飛距離を武器に、3勝していたが、1996年は8月のこの時までまだ勝っていなかった。
当時、所属先だったNECの試合とあって、勝ちたい気持ちは強かったが、その分、自分で重圧をかけてしまってもいた。
この年は2日目に「ボギースタートだったけど『63』が出て」トータル10アンダー。野呂奈津子に4打差をつけて、一気に単独首位に躍り出る。最終日は野呂と、通算4アンダーの岡本の3人の最終組だった。
岡本と一緒にプレーしたことはもちろん何度もある。「でも初日の組み合わせとかが多くて、最終日にこういう位置はたぶんそれまでなかったと思います」という巡り合わせだった。
岡本の目の前で堂々たるプレーを見せて、最終日は2バーディ、2ボギー。10アンダーを死守した福嶋は、5打差圧勝をおさめた。
大差がついていたこともあり、すでに優勝を確信して18番に臨んでいた。それでも、セカンドショットを打って、大ギャラリーに拍手で迎えられるタイミングでの岡本の祝福には「涙が出ちゃいました」と、当時も口にしている。
「すごいうれしかった」と、26年の歳月を経た今でも口にする裏には、いくら真似ても「どうしてもあんな風には打てない」という“お手本”への尽きないあこがれがにじむ。
この優勝は、飛躍への大きなきっかけとなった。これ以外に優勝は富士通レディスだけだったが、安定した成績でこの年、初めての賞金女王となる。翌1997年は年間6勝を挙げる強さで続けて頂点に立った。
QTを経て1999年から米ツアーでもプレー。2勝を挙げるなど、世界の舞台でも活躍した。「あの試合からですよね」と、本人も認める大きなきっかけとなったのが、岡本の目の前で圧勝を飾った1996年NEC軽井沢72ゴルフトーナメントだった。(文・小川淳子)

<ゴルフ情報ALBA.Net>

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