<ウェイスト・マネージメント・フェニックス・オープン 最終日◇4日◇TPCスコッツデール(7,261ヤード・パー71)>
1週間の入場者数が延べ71万9179人と過去最高を記録した今年の「ウェイスト・マネージメント・フェニックス・オープン」。3連覇を狙う松山英樹は大きな期待と注目を集めていたが、その松山が2日目をスタートすらできずに途中棄権になることを、一体、誰が予測できただろうか。悪夢であってほしいと松山も思ったに違いない。だが、彼の左手首周辺に走る激痛も途中棄権も、残念ながら現実だった。
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ディフェンディング・チャンピオンで最大最高の優勝候補だった松山が早々にTPCスコッツデールから去った後、入れ替わるように優勝候補の枠の中へ浮上してきた選手たちの顔ぶれは多彩だった。
その一人、3日目を単独首位で終えたリッキー・ファウラー(米国)は、こう言った。
「もはや、この大会は“誰のトーナメント”にもなりえる」
ここ2年間は“ヒデキ・マツヤマのトーナメント”だった。今年は最終日を迎える上位陣は、ファウラーを筆頭に、地元アリゾナ州立大学出身のジョン・ラーム(スペイン)、チェズ・リアビ、フィル・ミケルソン、元全米アマ覇者のブライソン・デシャンボー、昨年のツアー選手権優勝で頭角を現したザンダー・シャウフェレ(いずれも米国)などなど。
それぞれの理由でアリゾナを愛し、スコッツデールの人々を愛し、「この大会が大好きだ」と繰り返し、ファンの笑顔に自身も笑顔で応えるタイプばかりになっていた。そういう顔ぶれだったせいだろう。最終日は大声援の中で大混戦になった。
単独首位でスタートしたファウラーは今大会10回目の出場だが、トップ10入りは過去3回。松山とプレーオフを戦って負けた2年前の惜敗は、ファウラーが思わず悔し泣きした数少ないケースの1つとなった。
「だからこそ、今年こそ」
ファウラーもロープ外を歩いていたファウラー一家も大勢のファンも、みなそう願っていた。そして、ファウラーとこの5年間、交流を続け、大会前週に息を引き取った地元の少年グリッフィンも、ファウラーのキャップに付されたバッジの中で「リッキー、勝ってね!」とサムアップして応援していた。
だが、ファウラーの願いは叶わず、終盤は力尽きたかのように崩れて11位に甘んじた。
ファウラー同様、今大会10回目の出場となったリアビは小学校から高校までの8年間、地元少年としてこの大会のスコアボードを掲げて歩くボランティアをやっていた。
「子供のころの僕は4つのメジャーとこの大会しか知らなかった。だからフェニックス・オープンは僕にとっては5つ目のメジャーみたいなものなんだ」
リアビは“彼のメジャー”をゲーリー・ウッドランド(米国)と並んで首位で終え、サドンデス・プレーオフへ。しかし、プレーオフを制したのは、幼少時代から25年以上もこの大会に熱い想いを抱き続けてきたリアビではなく、胸の中の辛い気持ちがまだ癒えてはいないウッドランドだった。
昨春、ウッドランドの妻は男の子と女の子の双子のベイビーを身ごもっていた。だが、女の子は生まれてくることができず、昨年3月、「僕たちは娘を失った」。男の子はそれから3か月後に無事生まれ、ジャクソンと名付けられた。
ウッドランドはこれまで米ツアー2勝。最後に勝ったのは2013年の「リノ・タホ・オープン」だった。
「優勝から遠ざかったこの5年間は辛かったが、娘を失ってからの数か月はもっと辛い心の闘いだった。ジャクソンを腕に抱き、父親として初めて噛み締める勝利の味は格別だ」
優勝の陰には、こんな秘話があった。初日の朝、コーチのブッチ・ハーモンから1通のメールを受け取ったという。
「この世の中は結果がすべてだけど、ブッチは『結果なんて気にするな。いい4ラウンドをプレーすることだけを目指せ』と言った。それが僕の心を楽にしてくれたのかどうかはよくわからない。でも、僕がいい4ラウンドをプレーできたことだけは確かだ」
ファウラーが言った「誰のトーナメントにもなりえる」というフレーズは、勝利を渇望するのみならず、どんな想いを抱く人の勝利もありえるという意味だったのだろう。
歴史的な大観衆に見守られた今年のフェニックス・オープン。最後は静かに「ウッドランドのトーナメント」になった。
文/舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)
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