石川遼の新スタートとなる、18年3戦が終了。2戦で上位に入る活躍を見せ、好調な滑り出しと言えるだろう。ここからツアーは2ヵ月の休みに突入。次の舞台はいよいよ国内に戻り、4月の「東建ホームメイトカップ」から本格的にシーズンインを迎える。
【連続写真】スイング改造中の石川遼、問題は右サイドに!?
石川がプロとしてツアーデビューを果たした2008年の同大会には、ギャラリーが大挙して訪れた。国内男子ツアーのギャラリー動員数は年間でおよそ52万人と、多くの観衆が新たに出現したスターのプレーをひと目見ようとパニックになる会場も少なくなかった。それが17年は、大幅減の約29万人と低迷した。
17年10月の「日本オープン」で国内復帰となった石川。5戦連続で予選落ちなど苦しい時期を乗り越え、自身最終戦の「カシオワールドオープン」では2位タイに入り、復調をアピール。そして迎えた18年、史上最年少で選手会長の肩書きが加わった石川に、ツアー人気再浮上の期待がかかる。
自身も2度選手会長を務め、現副会長の深堀圭一郎は、「彼はプレーでの発信力がある人だから、“いい”プレーを見せ続けるということが第一優先。それは、みんなで話し合って決めていること。僕らがサポートするので、思うことをどんどんやっていってもらいたい」と、バックアップを惜しまない。
新選手会長に望む“いい”プレー。そう聞いてまず思い出すのが、10年の「中日クラウンズ」。首位と6打差からスタートした最終日、駆けつけた観衆も優勝は難しいだろうと予想する中、本人は諦めていなかった。6番パー4でティショット、2打目とミスが続くも、ラフから放った15ヤードのアプローチを沈めてチップインバーディ。9番パー4では320ヤードを超えるビッグドライブで歓声を浴び、バーディを量産。気づけば12バーディ・ノーボギーでフィニッシュ。難攻不落の名古屋ゴルフ倶楽部・和合コースで “58”という超ロースコアをたたき出した。この数字は、当時世界6大ツアーでの18ホール最小ストローク記録(※16年の米国男子ツアー「トラベラーズ選手権」最終日にジム・フューリック(米国)が同記録を達成した)。大逆転優勝に加え、伝説を生み出した瞬間に現場にいた約1万6000人のギャラリーが熱狂した。
年間4勝を上げて最年少賞金王に輝いた09年の「〜全英への道〜ミズノオープンよみうりクラシック」でもドラマを生んだ。単独首位からスタートし、一時は2位に5打差をつけての独走を見せていた石川が、12番パー4でドライバーショットが乱れて立て続けに2発のOB。スコアボードには「+5」が刻まれ、追走していたデービッド・スメイル(ニュージーランド)と並んだ。しかし、16番パー5でグリーン右横のラフから30ヤードのチップインイーグルを奪取。これをきっかけに持ち直し、最終ホールもバーディで締めくくって3打差をつけて優勝を決めた。ちなみに、同大会最終日のテレビ放送の視聴率は関東13.6%(前年4.4%)、中部17.5%(前年7.1%)、関西16.8%(前年3.6%)と、大きく前年を上回り、驚異的な数字をはじき出した。
15年の「太平洋VISAマスターズ」では、「ファンあってのツアーですから。何をやったら盛り上がってもらえるか、どうしたら楽しんでもらえるかを考えないと。プレーを見せるだけでなく、来てよかったと思ってもらえることが大事」と熱く持論を展開した石川。
兼ねてから描いてきたビジョンを今度はツアーを牽引する立場で実現するチャンスをつかんだ。2ヵ月の充電期間で、一体どんな策を講じてくるのか、国内での新選手会長お披露目が待ち遠しい。
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