<ヨネックスレディス 最終日◇3日◇ヨネックスカントリークラブ(6,422ヤード・パー72)>
「私のプレーには“気合”しかない」。
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前日の予告どおり、ティオフからプレーに熱が帯びた。トータル6アンダー・単独首位から最終組でスタートした大山志保は、前半だけで5バーディ・1ボギー。バーディ奪取でガッツポーズ、ナイスパーセーブでガッツポーズ…観客の昂ぶりを誘発するプレーとアクションで、前半9ホール終了時には、2位以下に4打差をつけて独走態勢に。後半は2バーディ・2ボギーと伸ばせなかったものの、影すら踏ませぬ圧勝劇で、3度目の「ヨネックスレディス」制覇を果たした。
「40代でも優勝できました。復帰4戦目での最終日最終組。昨日からワクワクしていました。最後の18番では涙が出てきましたね。立てない時期、歩けない時期、いろいろ思い出して…」
2017年9月の「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン」練習中に首を痛め、病院で頚椎間板ヘルニアと診断を受けた大山。ツアーを離れ、オフはリハビリに終始(10月に「トーナメント特別保障制度」適用の承認を受けている)。2月頭から練習を再開できるようになり2戦目の「PRGRレディス」出場を目指したが、2月末にすぐさま再発。3月末に行われた地元・宮崎開催の「アクサレディス」出場もかなわなかった。昨年10月から今年の本格復帰となる「ほけんの窓口レディース」までの心境は…。
「テレビ中継、ネットニュース、雑誌…ゴルフに関しては一切見られない。ゴルフの話がすべて嫌な時期がありました。2月末に再発した際は本当にどん底。引退という言葉も耳にするようになって…でも、こんな状態で引退したくない。絶対に復活する。辞めるにしても復活してから。怪我には負けない、という気持ちでした」。怪我以外にも母親の病、大切な人の死…それら全てが大山にのしかかった。
その間、周囲の声や活躍が、折れかかる心を支えてくれた。「昨年12月には、友人が”青木瀬令奈さんの尊敬する人物が大山志保さんってなっていたよ”といってくれて、そう思ってくれる後輩がいるんだなって。4月には、古閑(美保)ちゃんの旦那さんの小平智くんがアメリカで優勝。私はいまでもアメリカでやりたい気持ちを持っている。“本当にすごいな”って。永峰咲希ちゃんの初優勝など宮崎出身の後輩たちの活躍も刺激になりました」。
復帰はしたものの、まだ完治しているわけではない。ギャラリーから大きな拍手で迎えられた最終18番グリーンに降り立ったときには痛みがでていた。それでも自身のプレーを見守ってくれた大山の身を支えるのは情熱のみだ。
「いままで怪我を繰り返すたびに、復活できて、心がどんどん強くなっている。正直、技術は昨年より落ちています。でも、復帰してからは(心のなかの)ほんの1%だけ、”今年優勝できないかな”と思っていました。いまは夢のようです。神様から試練を与えられて、精神面で乗り越えられたから、神様がごほうびをくれたのだと思います」
黄金世代など若手選手が注目されることの多い今季の国内女子だが、大山が観客と作り出す”熱気”はまだまだツアーに必要だ。(文・標英俊)
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