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青木功、丸山茂樹、松山英樹… サムライ達が戦った全米オープン

<全米オープン 事前情報◇14日◇シネコック・ヒルズゴルフクラブ(7440ヤード・パー70)>
世界屈指のトッププレーヤーが集い、世界一過酷なセッティングで繰り広げられる「全米オープン」。1895年に創設されたその舞台には、これまで数多くの日本人選手が挑んできた。
【連続写真】世界NO.1の呼び声も 松山英樹の2018年スイング
初めて出場したのは、1932年の宮本留吉。トータル24オーバーで決勝ラウンドには進めなかったものの、日本のゴルフ史に大きな足跡を残した。35年には中村寅吉が日本選手で初めて予選を通過し、58位タイで大会を終えた。
そこから40年以上を経て、全米オープン史に最も深くその名を刻む日本人が現れる。青木功だ。1980年にバルタスロールGCで繰り広げた、ジャック・ニクラス(米国)との死闘は、いまも全米オープン屈指の名勝負として世界のゴルフファンの語り草となっている。惜しくも2位に終わったが、“帝王 ”を苦しめた日本人として、その名を世界に知らしめた。
のちに、この時の様子を「久々の優勝がかかっていたぶん、ジャックへの声援は日増しに大きくなっていった。そんな状況でもし俺が勝っていたら、ギャラリーに踏みつけられていたかもしれないな(笑)。それくらい異様な雰囲気だったよ」と語った青木。9度出場した全米オープンのハイライトシーンとして、今も記憶にとどめているゴルフファンも多いだろう。
87年に中嶋常幸、89年には尾崎将司がトップ10入りを果たしたが、次に大きく優勝に近づいたのは2004年の丸山茂樹だった。今年と同じシネコック・ヒルズGCで行われた大会で丸山は、初日、2日目を首位タイでラウンドする。しかし、厳しいピンポジションと強風が選手を苦しめる展開で、決勝ラウンドではスコアを落とし、トータル4オーバー・4位タイで終戦。日本人初の快挙には手が届かなかったものの、メジャー自己最高の成績を残した。
その後も片山晋呉、藤田寛之、谷口徹、石川遼らが日本を代表して出場するも、予選通過を目指す戦いを余儀なくされた。そこに現れたのが松山英樹だ。13年に初出場を果たすと、いきなり10位タイに食い込む活躍を見せる。その後、14年・35位タイ、15年・18位タイという成績を残す。16年は初めて予選落ちを喫したが、その翌年に大きなインパクトを残すことになる。
17年大会は初日こそ2オーバー・82位タイと出遅れたものの、2日目にその日のベストスコアタイとなる「65」をマーク。一気に8位タイまで順位を上げた。3日目に1つスコアを伸ばし迎えた最終日は、朝から吹きすさぶ強風のなか「66」を記録。ホールアウト時点で首位との差は1打。メジャー制覇が大きく現実味を増した。しかし、最後はブルックス・ケプカ(米国)が終盤にチャージし、4打差の2位タイという結果に。それでも日本人のメジャー最高位(前述した青木功の単独2位)に並び、悲願達成がそう遠くないことを予感させた。
今年は松山のほか、小平智、秋吉翔太、星野陸也が最高峰の舞台に挑む。今まで日本人選手が何度も跳ね返され、開けることのできなかった「優勝」という名のトビラ。 その重いトビラを開く“サムライ”は現れるか。

<ゴルフ情報ALBA.Net>

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