<マヤコバゴルフクラシック 最終日◇11日◇エル・カマレオンGC・メキシコ(6,987ヤード・パー71)>
メキシコで開催された「マヤコバゴルフクラシック」はマット・クーチャー(米国)の優勝で幕を閉じた。
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初日から首位に立ったクーチャーが独走して勝利するかと思われたが、14番と15番で続けざまにショートパットを外して連続ボギーを叩いてからは、猛追をかけてきたダニー・リー(ニュージーランド)とわずか1打差で上がり3ホールへ。少々ひやひやさせられたが、きっちりパーを拾い切り、通算8勝目を挙げた。
「ゴルフは面白いゲームだ」
クーチャーの言葉には実感がこもっていた。絶好調だったはずが、急におかしくなり、そうかと思えば、その逆もある。チャンスだと思った途端、ピンチに陥ることもしばしば。だが、ピンチをチャンスに変える部分は、急にそうなるのではなく、努力して自力で成すべきことで、クーチャーという選手の歴史を遡れば、彼はそうやって長い“ゴルフ道”を歩いてきた選手だなあと、つくづく思える。
いつも笑顔のクーチャーは温厚な人柄。昨今の米ツアーでは、どちらかと言えば地味なイメージなのかもしれないが、その昔、彼は米ゴルフ界を席巻したヤングスターだった。
1997年に「全米アマ」を制し、アマチュアで出場した翌年の「マスターズ」でも「全米オープン」でも優勝争いに絡む大活躍を見せたクーチャーは一世を風靡し、すぐさまプロ転向が期待された。当時のクーチャー旋風は、例えるなら、かつて日本で巻き起こった石川遼ブームとそっくりだった。
だが、プロ転向よりジョージア工科大学を卒業する選択をしたクーチャーは、卒業後は社会人経験をする道を選び、1年以上が経過した2000年にプロ転向。下部ツアーを経て米ツアーに辿り着き、ようやく初優勝を挙げたのは2002年だった。
そのころには、クーチャー旋風はすっかり忘れられてしまっていたが、彼は回り道をしたことを後悔してはいなかった。
「人生はゴルフがすべてではないし、勝つことだけがすべてではないから」
その教えは、まだ高校生ゴルファーだったころのクーチャーが母親メグから授けられた教訓で、その話はクーチャーが全米アマ優勝を飾った数カ月後、彼の実家を訪ねた際に母親メグが明かしてくれたものだった。
「ジュニア時代のマットは試合中、すぐカッとなってクラブを地面に叩きつけたり投げたりしていた。だから私、ゴルフバッグごと道具を全部取り上げて隠したんです。そんな人間にゴルフをする資格はないですから」
数カ月間、クーチャーはゴルフができず、猛省する日々を過ごしたそうだ。
「もう2度とマナーの悪い態度は取らないと僕は誓った。ようやくゴルフバッグを返してもらい、ゴルフができる喜びを知った」
クーチャーの根底には、このときの経験で学んだことが今もこれからも常にあるという。
初優勝後は7年間、勝利から遠ざかったが、クーチャーは笑顔を絶やすことなく、地道に努力を積んだ。2勝目を挙げた2009年以降は、ほぼ毎年、勝利を重ねたが、2014年の「RBCヘリテイジ」を最後に勝てなくなった。
2017年の「全英オープン」は3年ぶりの勝利とメジャー初勝利を挙げる絶好のチャンスを作り出したが、ジョーダン・スピース(米国)に惜敗。18番グリーン奥には父親の優勝を信じてクーチャーの息子たちが待っていたが、父の敗北を理解して泣き出した幼い長男に「負けることは恥ではないんだよ」と自分は悔し涙をこらえながら優しく説いた父親クーチャーの姿が痛々しく、そして美しかった。
今大会も2人の息子たちが待っていた。今回は父親が1打差で逃げ切ろうと必死にプレーしていることを理解し、ちょっぴり不安の混じった笑顔で見守っていた姿にいろんな成長が感じられて微笑ましかった。
息子たちと一緒にいたのは彼らの母親でクーチャーの愛妻。彼女は今大会の初日にクーチャーと同組だったザック・ジョンソン(米国)のキャディが熱中症で倒れた際、代役を買って出て、ジョンソンのバッグを担いだ。クーチャーとジョンソンは昔からの親友どうし。困ったときは助け合ってこそのゴルフだ。
クーチャーに歴史あり。彼の子供たちにも家族にも歴史あり。米ツアーにも歴史あり。そういう歴史をファンも垣間見ることができ、共感、共有できることこそが、プロゴルフの魅力なのではないか。
40歳になったクーチャーの4年ぶりの勝利を眺めながら、そんなことを、しみじみ考えた。
文 舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)
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