タイガー・ウッズ(米国)が戦線に復帰した2018年は、メジャー4大会を迎えるたびにウッズの復活優勝が期待されたが、残念ながらメジャー15勝目は達成されなかった。
とにかく画になる、往年のタイガー・ウッズが戻ってきた【連続写真】
しかし、どのメジャー大会でもウッズの存在感が際立ち、勝者のストーリーのすべてにウッズが登場したことが実に興味深かった。
「マスターズ」を制したパトリック・リード(米国)は幼少時代からサンデー・レッドシャツに身を包んで勝利の雄叫びを上げるウッズの姿に憧れ、ジュニアの大会でも大学ゴルフの大会でも最終日は赤いシャツを着てプレーしてきた。プロ転向し、米ツアー選手になってからも最終日のリードはいつもレッドシャツ姿だった。
しかし、優勝争いに絡んだ今年のマスターズでは、ウエア契約先のナイキの意向に従って、最終日はピンク色のシャツに身を包んだ。赤をピンクに変えて挑んだ初めての最終日にオーガスタで勝利を挙げたことは、皮肉のようで、運命の悪戯のようで、不思議な巡り合わせだったが、シャツの色まで真似てウッズを崇拝してきたリードがマスターズを制したことは、「ウッズ・チルドレン」がゴルフの世界のピラミッドを駆け上ってきたことの1つの証しだった。
6月の「全米オープン」を制して大会2連覇を達成し、さらに8月の「全米プロゴルフ選手権」でも勝利してメジャー通算3勝目を挙げたブルックス・ケプカ(米国)は、15年前に聞いたウッズ・コールの地響きに強く刺激され、それが彼の最大のモチベーションになってきたことを明かした。
「13歳のとき、全英オープン観戦に連れていってもらった。そのとき、大観衆がウッズに送る、割れるような拍手や大歓声を生まれて初めて直に聞いた。まるで地響きがするようなウッズ・コールの大きさと興奮は、以後、僕の中にずっと残っていた。今、そのタイガーと僕がメジャーで優勝を競い合い、そして僕が勝ったことは、格別の味わいだ」
今年1月に左手首を故障して戦線離脱したケプカは、なかなか痛みがひかず、4月のマスターズは欠場を余儀なくされた。「もう二度と戦えないかもしれない」と引退の二文字も頭をよぎり、わらにもすがる思いで馬専門のカイロプラクターを訪ねた。そこで受けた施術によって奇跡的にスピード回復。翌月から戦線復帰し、早々に全米オープンで勝利を挙げた。
そんなケプカのネバーギブアップの精神も、子供のころに肌で感じたウッズ・コールの地響きによって醸成されたものだったのだろう。
7月の全英オープンは、ウッズ自身が最終日に一時は首位に立ったことで世界の注目を集めたが、勝利したのはイタリア人のフランチェスコ・モリナリだった。
23年前、ゴルフの聖地、セント・アンドリュースで開催された1995年の全英オープン最終日、母国の英雄コンスタンチノ・ロッカが米国のビッグスター、ジョン・デーリーに惜敗した様子を、モリナリはTV画面に食い入るように、じっと見つめていたそうだ。
「いつか僕がイタリア国旗を掲げてみせる」
偶然にも、その1995年大会は、まだアマチュアだったウッズが生まれて初めて出場した全英オープンだった。そう、メジャー優勝を目指して走り始めたスタート地点はウッズもモリナリも一緒だったのだ。
それから23年の歳月の中でウッズとモリナリの間には大きな差が開いていったが、今年の大会でモリナリがウッズを抑えて勝利した姿を目にしたとき、歴史が1つの節目を迎えたのだと思わずにはいられなかった。
ウッズの影響を受けながら育った「ウッズ・チルドレン」たちがメジャー大会を制覇した2018年。
そんな若い彼らに混ざって、腰の手術を受けた42歳のウッズが優勝争いを演じ、勝利に手を伸ばし続けたことは、多くの中年熟年世代に勇気や希望をもたらしてくれた。
そして、そのウッズがシーズンエンドに復活優勝を果たしたことが、今年のゴルフ界を格別なものにしてくれた。
文 舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)
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