15日の夜(米国時間)、イリノイ州クワッド・シティのローカル空港から全英オープン開催地の北アイルランドへ向かって飛び立ったプライベートジェットには、ほんの数時間前に「ジョン・ディア・クラシック」で初優勝を遂げたばかりのディラン・フリッテリや先週の3Mオープンでやはり初優勝を遂げた20歳のマシュー・ウルフらが乗っていた。
悲劇を乗り越えてタイトルを掴んだネイト・ラシュリー
先々週の「ロケット・モーゲージ・クラシック」では、大学時代に両親と恋人を飛行機事故で失ったネイト・ラシュリ―が、補欠から繰り上がって出場し、36歳にして初優勝。悲劇を乗り越え、苦労の末に勝利を掴んだ彼の人生の物語が人々の涙を誘った。
そう、この3週間、米ツアーでは続けざまに初優勝者が誕生した。彼らはビッグな優勝賞金を手に入れ、向こう2年間のシード権や今週の全英オープン、来年のマスターズや全米プロなどへの出場資格も獲得した。
そんな夢のような「収穫」は、これまで米ツアー未勝利だった彼らにとって大きな喜びであり、安堵でもある。だが、今週のジョン・ディア・クラシックを制したフリッテリは、もう1つ、別の喜びをうれしそうに口にしたことが、とても印象的だった。
フリッテリは南アフリカ出身の29歳。12歳からゴルフを始め、18歳からは叔父が音楽教授を務めていた米テキサス大学へゴルフ留学。そこへ1年遅れで入部してきたのがジョーダン・スピースだった。つまり、フリッテリとスピースはテキサス大学ゴルフ部の先輩と後輩に当たるわけだが、当時からフリッテリは何かにつけてスピースに圧倒されていたという。
「ジョーダンのゴルフにかける熱意や渇望は壮絶だった。僕には、それほどのものはない、叶わないと思っていた」
フリッテリがプロ転向して間もなかった2013年、後輩のスピースがジョン・ディア・クラシックで初優勝を遂げ、そのまま全英オープンへと飛んでいった。フリッテリの闘志が燃え上がったのは、そのときだった。とはいえ、それはスピースに対するライバル意識や負けん気ではなかったとフリッテリは振り返った。
「ジョン・ディア・クラシックは子供のころからTV中継で見ていた。どんどんスコアが伸びる楽しい大会だと思っていたけど、それ以上に、ジョンディアという会社がずっとスポンサーを続けていることがすごいと思っていた。僕は今29歳だから、ジョンディアはスポンサーになって何年だろう?14年?15年?えっ、22年?1つの会社が長年スポンサーを続けていれば、大会に携わる人々も地元の人々も、みな深い理解を示してくれている。そういう大会で初優勝できたことが僕は何よりうれしい」
ジョン・ディア・クラシック初出場だったフリッテリの緊張をほぐしてくれたのは、地元のボランティアやファンの人々の声援だった。
「ティに立つたび、グリーンからティへ向かうたびに声をかけてくれた。今週の宿を提供してくれた友人は、僕と家族をアットホームな雰囲気で包んでくれた。そういう助けがあったからこそ、勝つことができた」
フリッテリは欧州ツアーで2017年に2勝を挙げたため、その資格でメジャー大会に出た経験もそれなりにある。全英オープン出場も今回が3度目。とはいえ、「欧州ツアーのシードは今年で切れるところだった」。米ツアーの2年シードとロイヤル・ポートラッシュへの最後の切符を手にしたことは「もちろんうれしい」。
だが、それはそれとして、「子供のころから、いつかあそこで勝ちたいと思っていた大会で初優勝できたことがうれしい」と笑顔で語ったフリッテリの姿に心を動かされた人は多かったのではないだろうか。しかも、その「憧れの大会」がメジャー大会やビッグ大会ではなく、むしろ全英オープン前週でビッグネームの大半がスキップするジョン・ディア・クラシックだったことを誰よりも喜んだのは同大会に携わる人々だ。
持ちつ持たれつのプロゴルフ界。ファンやスポンサーあってこその大会であり、ツアーであることを理解し、感謝しているからこそ生まれ出るフリッテリの言動を眺めて、彼のファンが一気に増えたことは間違いない。こういう選手にこそ、今週の全英オープンを制してほしい。
文 舩越園子(ゴルフジャーナリスト)
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