1951年以来68年ぶりに北アイルランドに“帰ってきた”「全英オープン」。ここまで大規模なスポーツイベントが、この人口わずか187万人の地域で開催されるのは初めてということもあり、開幕前から街はTHE OPENムードに包まれていた。
アイルランドは揺れた 熱狂の全英OPを写真で振り返る【写真集】
前売りチケットは完売。4月に行われたR&Aの会見では、148回の歴史を誇る全英史上2位となる23万人以上の動員を見込んでいると明かされた。全英では初めて当日券の販売もされないほどの過熱ぶり。1週間で25万人近くがコースを埋め尽くした。コース近くでは連日街ぐるみのイベントが行われ、3日目終了時の会場にはそこで打ち上げられた花火の音が鳴り響いた。そしてそれ以上に終始コースに轟いていた歓声が、人々の興奮ぶりを伝えた。
そんななか大会2日目にコースで見た光景が、頭に残って離れない。その主役は地元出身のローリー・マキロイだった。予選カットが決まるこの日のロイヤルポートラッシュは、北アイルランドが誇るヒーローのプレーに一喜一憂した。
「この場所で全英オープンが開催されるなんて、思ってもみなかった。ここに世界のトップゴルファーが立っているのは不思議な感覚だ」
開幕前日に開かれた公式会見の席でマキロイは、心境をこう表現した。「こんな機会に恵まれることは、もう2度とないかもしれない。あのコースに出てプレーし、たくさんのギャラリーに囲まれて応援してもらえるということを、ただただ楽しみたい。これほど素晴らしいサポートを受けて頑張れないようなら、今後僕を後押しできるものは何もないということになる」。北アイルランド中から注がれる期待を理解したうえでコースに出た。
しかし、16歳の時に「61」をマークしたこともあり、「僕の大切な一部」と話したこのコースは、マキロイに大きな試練を与えた。
初日、一際大きな歓声を浴びながらコースに登場したマキロイ。華々しいスタートを期待しながら、多くのギャラリーがそのファーストショットを見守った。だが直後、ボールが人々の視線から“消えた”。左へのOBだった。結局パー4のこのホールをあがるのに要したのは8打。声援を送っていた誰もが呆然とするできごとが起こったのだった。その後も立て直すことなく、最終ホールにもトリプルボギー。スコアカードには「79」という数字が書き込まれた。8オーバー・150位タイ。これが初日の結果だった。
「失望はしているが、僕が僕なのに変わりはない。家に帰って家族に会い、友人とも顔を合わす。きょうの僕のパフォーマンスを見て、彼らが違った目で僕を見ないことを願っている」。ラウンド後、この日の結果について、努めて前向きに振り返っていたマキロイだったが、こんな言葉が口をつく場面もあった。重圧について本人は否定した。それでも、その日狂った歯車が戻ることはなかった。
だが、彼を見る北アイルランドの目が変わることなど、もちろんない。2日目、誰もが初日と同じようにこの英雄の活躍を信じ、声援を送り続けた。このラウンド中、筆者は一組後ろを回る松山英樹のラウンドについていたのだが、時々前から“ドンッ”と、まるで爆発音のような声援が耳に入ってきた。この日のマキロイは前日とは一転、自分のプレーを取り戻していた。前半に2バーディ。さらに後半の10〜12番で3連続バーディが出ると、会場のボルテージはさらにアップした。“大カムバック”の期待は、ホールが進につれ増していった。
そして筆者が16番のティに進もうとした時だった。大歓声とともに目の前を、多くのギャラリーが駆けていった。それもとてもうれしそうな表情で。ここはパー3のため、はじめはエースでも達成されたのかと思うほどの盛り上がりだった。これは、グリーンにいたマキロイが、予選通過ラインまであと1打に迫るバーディを奪ったことをよろこぶ人々の波だった。
このホールのティとグリーンには、観戦スタンドが用意されているのだが、そこに居た人達は一斉に立ち上がり、17番に向かうマキロイのもとに“飛び出していった”。もちろんサイドロープ沿いに立っていた人も同じだ。「Excited!」、「Go!Rory!」、「Birdie!Rory!」…、みな思い思いの言葉を口にしていた。
続く松山、リッキー・ファウラー、ケビン・キスナー組を迎えた16番のスタンドは、先ほどまでのすし詰め状態から一転、ガランとしたものに変わった。本来なら“寂しいスタンド”と映る光景だが、この時ばかりは、とても自然なこと、むしろ“温かみのあるスタンド”のように感じられた。
しかし、この後の2ホールでマキロイがバーディを奪うことはなかった。最終18番グリーンを取り囲むスタンド。ここでマキロイの到着をスタンディングオベーションで迎えた人々は、最後のパーパットが決まった後、再び席を立ち、大きな、とても大きな拍手を送った。ため息をつく者など一人もいなかったのではないだろうか。そして、この拍手を聞いた時、これは決して慰めの拍手ではないように感じた。“俺たちの誇りローリー”に対する敬意の拍手に違いない、そう思った。マキロイはキャップを外して、この歓声に応えた。
大会初日には第1組で、2011年全英王者のダレン・クラークがスタートしていった。午前6時35分と、早朝にもかかわらず1番ティのスタンド、その周辺には多くのギャラリーが集まり、こちらも地元の英雄を大きな応援の声とともに送り出した。グレアム・マクドウェルに対しても同じだ。ギャラリー達の選手に対する敬意は深く、どの選手にも大きな拍手、そして声援が送られていたのだが、やはり地元3人へのそれは少し違っていた。
大会は“もう一人のローリー”、隣のアイルランド出身のシェーン・ローリーが制したが、一人抜け出した3日目のラウンド後、そして優勝が決定する18番グリーンなどでは、凱歌がなりひびいた。アイルランドと北アイルランドは、長年、政治的な問題が横たわってきたが、ローリーは「これからホーム(自宅)に帰るけど、すでに今ホーム(地元)にいる。この意味が分かるかな?僕は地元で優勝をしたんだ」と“地元優勝”を強調した。
民族間の歴史については、もちろん文献などを見ていけば“知識”としていくらでも知ることができるが、私たちが本当の意味で“理解”することはできないものだろう。大会で目にした、これらの光景は濃密なナショナリズムを感じさせ、それと同時にこの国のゴルフ文化の深さも垣間見ることができた。
マキロイは予選落ちが決まった後涙し、こう話した。「きょうは自分を褒めてあげたい。そして応援してくれたすべての人に感謝したい。人生の中で、いちばん楽しいラウンドだったかもしれない。優勝したこともある大会で、予選通過と戦っていたのだから、おかしく聞こえるかもしれないけど…」。“第三者”が見ても胸を打つほど、特別にみえた関係。本人が感じたよろこびは、これまたわれわれが本当の意味で理解することができないほど深いものだったのだろう。(文・間宮輝憲)
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