<ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン 最終日◇29日◇利府ゴルフ倶楽部(宮城県)◇6505ヤード・パー72>
勝つときは泣かない。そう思っていてもやはり込み上げてくるものは抑えられなかった。優勝直後のインタビューで「この場に立つのに6年もかかってしまった。日頃から応援してくださるみなさまにたくさんの心配をかけてしまった(笑)」と切り出した冒頭から、すでに言葉を詰まらせていた。
これが柏原明日架、6年分の涙【大会フォトギャラリー】
改めて「長かった」と振り返ったプロテスト合格からの6年。苦しいことも多かったが、ここまでやってこれたのは、話したとおり同郷の同級生や先輩、そして家族の存在が大きかった。
宮崎県が生んだレジェンド・大山志保は、常日頃から何かあれば相談している先輩。とくに最近は同組で回ることも多く、アドバイスを求める機会も多かった。何かあれば客観的な意見を快くくれるのだが、7月の「センチュリー21レディス」で予選落ちしたときも、練習グリーンで「なかなか調子が上がってこないんです」と相談した。
「“勝てないのは何でなんですかね?”って質問したら、“大事なのは1勝目の早さじゃないよ。ゴルフをやめるときに何勝していたかだよ”と言ってくださって。さらっとした会話でしたけど、気持ちの支えになりました。焦りを取り払ってくれたし、目の前の課題に集中した方がいいと気づくことができました。この言葉は大きかったですね」
また同郷で同級生。永峰咲希は常に競い合ってきたライバルだ。「ジュニアのころから一緒に戦ってきて、日本の代表になるときも2人で争いましたし、プロテストを受けるときもQTを受けるときも一緒でした。どっちが初優勝するか勝負しようねって話をしていて、咲希ちゃんに先に勝たれてしまって悔しい思いはもちろんありました。でも刺激し合ってきた仲間が一つ上の舞台で戦って結果を残したのは大きな刺激になりました」。まさに好敵手と呼ぶにふさわしい相手に恵まれた。
「今年に入って2人とも調子が上がらないなかで、“そろそろ頑張ろうね”って、1、2カ月前に話をしていたところでした。若い選手もいましたが、私たちもツアーを盛り上げていきたいと思います」。声を詰まらせながら、最高の関係を築いている同級生のことを話した。
そしてプロ入りからずっと帯同して、運転から食事面まで支えてくれた母・友美さんのことも忘れてはならない。「ケンカをすることもありましたが、本当にサポートしてくれました。私の性格や考え方を理解しているので、母はゴルフをしませんがアドバイスを求めることもありました。たくさん心配をかけてきました」。そしてコーチを務める父・武道さんも「仕事をしているのでなかなか会場には見に来られないですが、ホールバイホールを見たら私がどうプレーしたか分かるそうです。すごく心強い。恩返しできてうれしいですね」と白い歯を見せた。
この日は武道さんを除く3人が18番グリーンで柏原を見守った。「最終ホールにいてくれたのは本当にうれしかった。一人ではここに立てなかった。少しは恩返しできたと思います」。多くの人たちに支えられて生まれた初優勝だった。(文・秋田義和)
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