新型コロナウイルス感染拡大の影響で、国内だけでなく世界各国で中止が余儀なくされているゴルフトーナメント。なかなか試合の臨場感を伝えることができない状況が続いています。そんな状況のなか、少しでもツアーへの思いを馳せてもらおうとツアー取材担当が見た選手の意外な素顔や強さの秘訣、思い出の取材などを紹介。今回は渋野日向子の伝説の幕開けに立ち会った裏話。
――――
私が初めて、しっかりと渋野日向子プロの取材をしたのは約1年前、「KKT杯バンテリンレディス」の2日目でした。熊本にゆかりのある不動裕理プロと大山志保プロと同組に入った大里桃子プロに、大先輩2人とのラウンドがどうだったのかという話を聞きに行ったとき、大里プロと父・充さんに「もっと取材したほうがいい選手がいるよ」と言われたのが、一緒にいた渋野プロでした。
実はこの時、渋野プロは最下位から予選突破を果たすという、その後のシンデレラストーリーを考えれば伝説の幕開けともいえるような珍事を達成していたのですが、恥ずかしながら教えてもらうまで全く知りませんでした。初日に「81」をたたきながら、この日は1イーグル・6バーディ・2ボギーの「66」と、スコアを一気に15も縮めていたのです。
前日最下位ということは、優勝争いの真反対、つまりインコースの最終組からのスタート。その選手たちが上がってくるということは、ほとんどの記者は優勝争いをしている選手を取材するタイミングです。手前味噌になりますが、この時に渋野プロの記事を出せたのは僕だけ。本当に大里親子には頭が上がりません。
当時の取材メモを見返してみると、「昨日は3連続で木に“ぶち”当てて…」、「私にも意味が分かりません」、「感激と驚きで泣きそうです」、「最終日を回れるよろこびをかみ締めながらプレーしたい」といった、いわゆる“シブコ語録”がこの時からたくさん散りばめられています。笑顔でハキハキと話してくれたのも印象的でした。
さて、ここからが大変でした。まず、最下位から予選突破した選手がこれまでいたのかどうか。データとして残っているはずもなく、日本女子プロゴルフ協会の方に協力してもらい(ツアー制施行後の1試合ずつ調べていただきました。ありがとうございます)前例を確認。すると、過去に1例だけあったことが発覚しました。ちょっと残念でしたが、史上2人目でも十分すぎる珍事です。
当然ながら予選通過ラインの50位タイに入った渋野プロを除く11人のうち、誰かが1つでもスコアを伸ばしていたら、渋野プロは決勝ラウンドには行けていません。これも“今思えば”ですが、やっぱり「持っている」選手なのかなと改めて思います。
こうして出来上がった記事を見た他社のスポーツ紙の記者の方から「よく気づいたなぁ」と言われて、「たまたまです」と言いつつ“ドヤ顔”したのは良い思い出です。後に渋野プロは「あそこから始まったのかなと思います」とその後の快進撃のスタート地点に、この熊本の地を挙げました。いやぁシンデレラが誕生する瞬間は、どこに潜んでいるか分かりません。(文・秋田義和)
<ゴルフ情報ALBA.Net>