「マヤコバゴルフクラシック」が米ツアー大会として創設されたのは2007年のことだった。14回目を迎えた今年の大会が、いろんな意味で、とても多彩で国際的な大会となったことは、大会に携わってきた人々の想いと努力の賜物だった。
秋マスターズのオーガスタはこんな感じだった【写真】
最終日。優勝争いはバーディ合戦の大混戦となったが、72ホール目に2メートルのバーディーパットを沈めたノルウェー出身の23歳、ビクトル・ホブラン(ノルウェー)が1打差で勝利し、米ツアー2勝目を挙げた。
「16番の第2打で(バンカーに入れたときは)負けたと思ったけど、18番は、よく入ってくれた。自分がプレッシャーに強いとは、まったく思わない。最後は本当にドキドキで体が震えたけど、よく入ってくれた」
ホブランの生い立ちのストーリーが、とても興味深い。その昔、ホブランの父親は仕事で米国にしばし滞在。その間にゴルフを覚え、ゴルフクラブをノルウェーに持ち帰り、11歳になった息子にもゴルフに触れさせた。それがホブランとゴルフの出会いだった。
めきめき腕を上げたホブランは米国のゴルフの名門、オクラホマ州立大学へ進学。在学中の2018年にノルウェー人としては初めて全米アマチュアを制し、その資格で翌年のマスターズに出場。それもノルウェー人としては初めての快挙だった。
2019年の夏にプロ転向。今年から米ツアー参戦を始めると、早々に2月のプエルトリコ・オープンを制して米ツアー初のノルウェー人チャンピオンとなり、そして今週、マヤコバ・ゴルフ・クラシックで2勝目を挙げた。
ホブランは米ゴルフ界で戦うノルウェー人選手の草分けとなって突き進んでいる。だが、元を辿れば、父親が米国でゴルフを覚えたという背景があり、そして、まだホブランがアマチュアだった2018年に生まれて初めて米ツアー大会を経験したのが、このマヤコバだったという背景もあった。
マヤコバゴルフクラシックは2007年の創設当初は世界選手権のマッチプレー選手権と同週開催で、優勝してもマスターズ出場権が付与されない「小さい大会」だった。毎年、優勝者は米国人選手ばかりで、母国メキシコやラテン・アメリカの選手がスポットライトを浴びることは、ほとんど無かった。だが、選手も大会関係者も「きっと、いつか」という想いを抱き、選手と大会を育むこと、ゴルフをメキシコやラテン・アメリカに広めることを大切に思ってきたのだと思う。
2013年に、この大会は「小さい大会」からレギュラー大会へ格上げされ、優勝者にはマスターズ出場権が授けられることになった。ビッグネームも徐々に出場するようになり、2015年には英国のグレアム・マクドウェルが優勝した。
今大会にもトップ・プレーヤーが数多く出場していたが、ブルックス・ケプカやリッキー・ファウラーは予選落ちを喫し、ジャスティン・トーマスは12位タイ、小平智は40位タイだった。
メキシコ人は5人出場し、ラテン系アメリカ人は11人出場。今年のヒューストン・オープンで初優勝を挙げたカルロス・オルティスは8位タイと大健闘し、今年のマスターズで優勝争いに絡んだエイブラハム・アンサーは12位タイと奮闘した。
かつてはスポットライトが当たる場所からは、かけ離れた存在だったメキシコの選手たちが、少しずつ、しかし着実に明るい場所へ近づいていることがよくわかる。
そして、メキシコ人のみならず、米ツアーで初のノルウェー人チャンピオンを生み出し、来年のマスターズへ送り出したこと、多様な国籍、多彩な若者たちに一流の戦いの場を提供し続け、育ててきたマヤコバの歩みは、日本のゴルフ界に是非とも範としてもらいたいものである。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)
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