先週の国内女子ツアー「パナソニックオープンレディース」は、トータル5アンダーで並んだ上田桃子、大里桃子によるプレーオフのすえ、上田が国内ツアー通算15勝目をつかんだ。同じ熊本県勢の、2人の“桃子”による直接対決も話題に。その大会で上田のキャディを務めたのは、2014年からコーチとして指導も行う辻村明志氏だった。2年ぶりの優勝をすぐ近くで見届けた同氏が、そこに至るまでに上田が抱えた苦悩や、それを克服する様子を明かした。
■師弟でともに探し始めた目標
プレーオフ2ホール目。最後の1メートルのパーパットを沈め優勝が決まると、上田は両手を高くあげ喜びを爆発させた。そしてすぐに辻村氏のもとに駆け寄り、その気持ちを分かち合った。これまで何度もタッグを組んできたが、一緒に優勝をつかんだのはこれが初めて。もちろん、2人の表情は晴れやかだ。だが、この最高の時間を味わうほんの数日前まで、コーチと教え子は大きな“葛藤”に向き合っていた。
「地元の熊本(KKT杯バンテリンレディス)で最終日にスコアを伸ばせなかった桃子は、自信を失いかけていました。熊本から帰ってきた後、『辻さん、話を聞いてください』と言われて、2時間ほど話し合いをしたのですが、そのうち半分くらいの時間は涙を流していましたね。そこでは『私、限界がきてますかね?』という言葉も出てくるほど。ボールもしっかり飛んでいるし、そんなことはないと言って、すぐに失った自信を取り戻すためクラブを振らせました」
熊本では、辻村氏はこちらも指導する小祝さくらのキャディを務めながら、首位と5打差の10位タイで迎えた最終日の上田の様子も見ていた。上田はこの日、小祝の組の1組前でプレーしていたのだが、ある違和感を発していた。「覇気がなかった。僕は桃子のスコアは見ていなかったのですが、上がった後すぐに『2オーバーか?』って聞いたんです。背中にそう書いてあった。そしてやはりその通りだったんです」。
涙の話し合いのなかで辻村氏は、上田に現在の『目標』を投げかけた。すると返ってきた答えは「分からない」。それまでの上田なら『年間10勝したい』など高い目標を掲げ、そこに向け闘志を燃やすタイプだったが、その時は違っていた。
若い選手の活躍が目立つ最近の女子ツアーで、上田は悩んでいた。優勝会見の席では、「さくちゃん(小祝さくら)が“賞金女王”を目標に掲げ練習をしている姿を見ていて正直うらやましかった。ほかの若い選手もすごくエネルギッシュ。目標が決まらないと意味がない」とその時の心境を打ち明けてもいた。そして師弟の“目標探し”が始まった。
■“原点”に立ち返った茨城での2日間
熊本の翌週を上田が空きにしていたこともあり、辻村コーチはこの1週間で教え子の現在の状態を把握するため目をこらした。「どこが問題なのか、ショット、パット、アプローチすべてを徹底的にチェックしました。この3つが整っていないから心も沈む。そして、それぞれ1つずつでも今後取り組める課題を見つけようと思い、桃子に『旅にでも行くか』と言いました」。2人は週末に茨城県に向かい、そこで2日間のプチ合宿を張った。
「練習をして、晩ご飯の時に普段お酒を飲まない桃子も少しだけ飲みながら、色々な話をしました。そこはテレビもないロッジで、普段、見たこともない幽霊を怖がるような桃子に、ここに泊まれるか?って聞いたほど。そしたら『辻さん、原点だよ!』って言ってきて。少しずつ心が明るくなっていることも感じることができました」
そして、この“原点”という言葉が、まさにキーワードだった。辻村氏は、普段から指導の際、「荒川先生ならどのように教えるだろうか?」ということを考える。先生とは、プロ野球・巨人で打撃コーチを務め、王貞治氏に一本足打法を指導したことでも知られる名伯楽の故・荒川博氏のこと。かつて上田とともに弟子入りし、そこでの教えは今でも辻村氏の指導の1番の指針となっている。こうして思いを巡らせ導いた答えが「基礎の徹底」。これが上田にとっての、新たな目標になった。
「まずウェッジの距離感が合っているかと聞いたら、『合ってない』と返ってきました。この距離感が合えば、7番、8番などアイアンも同じ感覚で打てる。それで60ヤードから10ヤード刻みで100ヤードまでを打ち込みました。僕がその地点に立って、携帯電話で『3ヤード足りない』とか言いながら。やはり感覚はいい選手。どんどん足元にいいボールが落ちてくるようになりました」
さらにアプローチ、パットでも“手に頼っている”という点に気づき、その原因を洗い出し。そして体、足をしっかり使ったスイング、ストロークを再度作り直した。アプローチでは、絶対に取りこぼしてはいけない簡単なものを34歳のベテランが徹底的に反復した。
■取り戻した“覇気”
「どんな名選手も基礎は怠ってはいけない。試合では引き出しも必要。でも基礎があっての応用です。基礎がない応用はただの小細工になってしまいます。引き出しが多いのは便利だけど、迷いにもなる。いつ、何を使うのか、それはシンプルでなければいけません。タンスがあっても、どこに何が入っているか分からないと全く意味がありませんから。桃子には“キャリアが邪魔するときがある”とも言いました。1度、新人のような気持ちで取り組もうって」
プチ合宿では、アプローチだけでも300〜400球をひたすら打ち続けた。こうして忘れかけていた気持ちを思い出し臨んだのが、先週のパナソニックオープンレディースだった。2日目を終え、首位に2打差の2位タイ。最終日は、瞬間最大風速20.2メートル/秒という強風のなか、バーディこそなかったが、ボギーも終盤15番で喫した1つのみと、とにかく耐え続けた。
「ショット、パット、アプローチすべてが、桃子が戦える平均点までいきました。最終日の17番では、いいショットがポロっとグリーンを外れた。まさに取りこぼせないアプローチになったんですけど、そのとき桃子のほうから、『辻さん、あれだけ練習してきたから大丈夫だよ』って言ってきたんです。あの風のなか3パットも3日間通じて0回。本当に辛抱強かったですよね」
涙を流しながら、心境を吐露してから2週間ほどで、以前のように戦う姿勢に満ちあふれた上田桃子が戻ってきた。そしてすぐに優勝をつかむのは、さすがの一言に尽きる。そして辻村氏は、今後の道筋を作ることができた茨城での2日間を、こう振り返る。
「楽しかった。桃子の熱い思いも聞けた。2日目は朝5時30分から散歩に行って、海を歩いて、近くの神社にいって、スッキリした気持ちで練習ができた。それができるのが上田桃子の情熱。そして、桃子の1番いいところは、本音で話しができるところ。悪い部分を隠したり、ウソをつかない。『今、自分が登っている山はどこなんだ?』って聞いた時に、『分からない』って本気で答えてくれた。だからこそ、しっかりと向き合うことができたんです」
ツアーで数々のタイトルをつかみ、賞金女王、米ツアーなども経験した実力者が流した涙。辻村氏は「人はどん底まで落ちた時に、その真価が問われる。しっかりと戻ってきてくれました」と上田に拍手を送った。あのグリーンで見せた2人の晴れやかな表情は、この苦悩を乗り切った喜びも含まれたものだった。
解説・辻村明志(つじむら・はるゆき)/1975年9月27日生まれ、福岡県出身。ツアープレーヤーとしてチャレンジツアー最高位2位などの成績を残し、2001年のアジアツアーQTでは3位に入り、翌年のアジアツアーにフル参戦した。転身後はツアー帯同コーチとして上田桃子、山村彩恵、松森彩夏、永井花奈、小祝さくら、吉田優利などを指導。様々な女子プロのスイングの特徴を分析し、コーチングに活かしている。プロゴルファーの辻村明須香は実妹。ツアー会場の愛称は“おにぃ”。
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