全米プロ最終日を最終組でともに回ったフィル・ミケルソンとブルックス・ケプカ。それは「メジャー5勝(ミケルソン)VSメジャー4勝(ケプカ)」の対決だったが、数字や記録ではなく、2人の心に残る因縁の対決という側面もあった。
「僕は8歳のとき、試合会場の駐車場でフィルにサインを求め、拒絶されたんだ。僕は(サービス精神旺盛な)フィルにサインを拒絶された唯一のキッズだった」
ケプカがそう明かせば、ミケルソンはこう反論した。
「あのときブルックスは選手専用の駐車場に入り込んでいた。だから僕は『ここに入ってきてはいけないよ』と言ったんだ」
そんな出来事から23年が経過した今、ミケルソンは50歳、ケプカは31歳になった。どちらもメジャー優勝を重ね、そしてこの日、キアワ・アイランドのサンデーアフタヌーンを最終組でともに戦ったことは、まさしく運命の悪戯(いたずら)のように思えてならない。
50歳のメジャー最年長優勝がかかるミケルソンの戦いは「メンタル・バトル」、両ひざや腰の故障を抱えるケプカの戦いは「フィジカル・バトル」になると米メディアは予想していた。なるほど、最年長優勝に加え、2013年の全英オープン制覇以来、8年ぶりのメジャー優勝と16年ぶりの全米プロ制覇がかかるミケルソンにのしかかるプレッシャーは果てしない。
さらに言えば、ここ数週間は、6月の全米オープンに特別招待で出場することの是非が取り沙汰されたり、新ツアー構想として浮上しているSLG(スーパーリーグ・ゴルフ)に移籍しそうな選手の筆頭に挙げられ、ミケルソン自身、「とても興味深い」と語って物議を醸したりと、喧騒のまっただ中にいた。
一方のケプカは、通算8勝のうちの4勝がメジャー優勝の「メジャーに強い男」だ。緊張やプレッシャーとは無縁の「鉄の心臓」の持ち主だと言われている。心配されていたのは満身創痍の肉体。とりわけ両ひざは、ラインを読む際もボールを拾う際も、しゃがむことすらままならない状態だった。
しかし、ゴルフというものは「メンタルの戦い」「フィジカルの戦い」と分けられるものではない。実際、いざ蓋を開けてみれば、「両膝はテーピングをしているし、安定している」というケプカは、「フィジカルの戦い」とはならず、むしろメンタル面から揺らいでいった。
2日目以降、パットが不調で、「キャリアで最悪だった」と言ったケプカは、あれやこれやと悩み抜き、試行錯誤しながら最終日に挑んだ。しかし、タッチもフィーリングも合わず、パットの狂いがショットの狂いも誘発した。
「パットは終始、感触が悪かった。なぜそうだったのかはわからない。あれこれ考えすぎて悩み過ぎ、調整しすぎたのかもしれない」
メンタル面の揺れが技術面を狂わせ、「74」を喫して2打差の2位タイに甘んじた。
逆に、メンタル面の動揺が心配されていたミケルソンは、バッグを担ぐ弟との二人三脚で落ち着きを保ち、ミスしても昔のように頬を紅潮させながら焦る様子も見せず、ガムを噛みながら淡々とプレーした。
10番のバーディでケプカとの差を4打に広げ、11番ではギャラリーをジョークで笑わせる余裕も見せた。密かに心配されていた50歳ゆえのスタミナ切れは、日ごろの鍛錬のおかげで、まったくの杞憂となり、最後は2打差を死守して最年長優勝を達成した。
「50歳の肉体とスキルを維持するために、いろいろなことを考え出し、それが正しいと信じてやり続けてきた」
ミケルソンとケプカの勝敗を分けたものは、自分を信じる前向きな気持ちだった。
72ホール目。興奮してフェアウエイになだれ込んだ大観衆の視線はミケルソンだけに向けられ、大きな人の波に飲まれたケプカはグリーンに到達するのも一苦労だった。
「すごい経験だった。でも、膝を痛めている僕は何度もあの中で押し倒されそうになり、楽しくはなかった」
ケプカにとっては「さらなる因縁」になってしまったかと思ったが、「フィルのゴルフは素晴らしかった。6番から13番は圧巻だった」と完敗を認め、絶賛した姿は潔かった。
「因縁」は、言い換えれば「永遠のライバル」。2人の対決は、全米プロの優勝争いにふさわしい見ごたえある戦いだった。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)
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