初の日本勢対決、笹生優花と畑岡奈紗のプレーオフで日本中が大いに沸いた全米女子オープン。その裏で大逆転負けで屈したレクシー・トンプソン(米国)にとっては、ベン・ホーガン、アーノルド・パーマー(ともに米国)の“ザ・オリンピッククラブの悲劇”を味わった1人に名前を連ねる残念な結果になってしまった。
笹生に1打リードの首位で迎えた最終日。トンプソンは1番パー5で、2打目をピン下3メートルのイーグルチャンスにつける(結果はバーディ)など序盤から絶好調ぶりを見せつけた。その後もほぼミスのないプレーで、一時はリードを5打まで広げる。さらにバックナインを迎えた時も4打リードと、このまま独走するのかとさえ思わせた。
そんなトンプソンの最初のミスは11番パー4。花道からのアプローチを大きくショートさせてダブルボギーを叩き、潮目が変わった。前を行くフォン・シャンシャン(中国)が2打差に迫り、そして畑岡が終盤に猛追してきた。
1打リードを守って迎えた17番パー5では、「風が違う方向に吹いた」とミスジャッジ。ここでのティショットを左ラフに打ち込むと、「これまで見たこともないひどいライ」で2打目はフェアウェイに出すだけになった。狂ったリズムは戻らず、3打目もグリーンをショート。さらに花道からパターで寄せたが、これもピンを1メートル以上オーバーすると、パーパットを沈めることができず、逆にバーディを奪った笹生、畑岡に並ばれた。
最終18番パー4ではティショットをフェアウェイに置きながら、セカンドショットをショートさせてバンカーへ。最後は3メートルのパーパットを打ちきれず、プレーオフにさえ加わることができなくなった。「このコースはこういうことが起きるコース…」とぼうぜん自失だった。“こういうこと”というのはおそらく…。
過去5回、男子の全米オープンが行われたコースでは、これまでにも“悲劇”を味わった選手がいた。1955年に無名選手だったジャック・フリーク(米国)が、ホーガンを18ホールのプレーオフのすえ破り、ゴルフ界で最も歴史的な勝利となった。66年は残り9ホールで7打リードしていたパーマーが突如崩れ、ビリー・キャスパー(米国)に並ばれ、さらにプレーオフで敗れた。トンプソンは偉大なレジェンドが経験した、こんな悲劇に思いを馳せたのかもしれない。
全米女子オープンは12歳で初出場を果たし、今年で15度目の出場だった。ようやく勝利かと思われたが、最後の最後でその手から滑り落ちた。最後にメジャー制覇を果たした「ANAインスピレーション」から7年の月日が経過している。
26歳になったトンプソンは、ツアー1の人気選手でもある。多くのファンから声援を送られながら終始笑顔でプレーしていたのが印象的だった。「今は笑うのがとてもつらいけれど、でも素晴らしい1週間だった。ここで学んだことを次の戦いで生かしたい」。最後まで気丈に話し、堂々とコースを立ち去った。(文・武川玲子=米国在住)
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