<ザ・ホンダ・クラシック 最終日◇27日◇PGAナショナル R&S チャンピオンC(フロリダ州)◇7125ヤード・パー70>
最終ホールは土砂降りだった。大粒の雨が降りしきるなか、セップ・ストレイカ(オーストリア)は残り192ヤードからピン14メートルに2オン。イーグルパットはわずかにカップに届かなかったがバーディでフィニッシュした。上がり5ホールで3つ伸ばして「66」をマーク。トータル10アンダーに伸ばし、土壇場でトップに立った。
最終組のシェーン・ローリー(アイルランド)は1打差。しかしその18番はティショットを左ラフに入れるとレイアップを選ばざるを得なかった。プレーオフの望みをかけた13メートルのバーディパットがカップに届かず右に外れる。これがストレイカの優勝が決まる瞬間になった。勝利はクラブハウスの中で、駆けつけてきた母と夫人が祝福。「信じられない。なんて言えばいいのだろう…。言葉が出て来ない。なんてクレージーな一日だ」と興奮した。
オーストリア人として米PGAツアーを初めて制したストレイカは、1993年5月1日、オーストリアのウィーンで生まれた28歳。14歳のとき、家族でアメリカのジョージア州バルドスタへと移住した。オーストリアのナショナルチームでプレーしたが、ジョージア大に進学し、双子の兄弟、サムも同じゴルフ部でプレー。15年には「全米アマチュア選手権」でマッチプレーまで進出した。
16年にプロ転向し、17年にはPGAツアー・カナダに参戦。そして翌18年のコーン・フェリーツアー出場権を獲得した。その年は同ツアーで20位になり、PGAツアーの出場権を得たオーストリア人となった。
そこからは「順調過ぎたのかもしれない」と振り返る。18−19年はフェデックスカップ115位、19−20年は79位。昨年は106位に後退したが、シードを守り続けた。昨年夏の東京五輪にもオーストリア代表として出場。初日は「63」をマークしてトップに立ち、最終的には10位に入った。
自身を「半分オーストリア、半分アメリカ人」と称するが、「五輪で母国のために戦えたのは大きな意味があった」と振り返る。ちなみ“セップ”はニックネームで、本名は「ジョセフ」だ。「だけどジョセフはオーストリアではみな、セップと呼ぶんだ。だから僕はずっとセップ」なのだそう。
身長191センチ、体重は107キロと恵まれた体格で、ジュニア時代にはサッカーでゴールキーパーも務めた。そしてオーストリアでゴルフのサマーキャンプに参加したのをきっかけにゴルフに没頭したという。
今大会の平均飛距離は309.9ヤードで13位ながらも、フェアウェイキープ率は83.9%、パーオン率は76.4%でともに1位。正確なショットが勝利に導いた。その瞬間はキース・ミッチェル(米国)らジョージア大出身の仲間が見守った。「僕たちはいつも一緒にツアーを転戦している。彼らが居てくれたことは本当に心強い」とこれに頭を下げる。
これで4月のマスターズ初出場権も得た。「育った街からは車で4時間。僕にとってオーガスタは生涯の夢だった。1カ月先にオーガスタに向かうなんてまだ現実とは思えない。ずっといつか勝てると信じてきたけれど、実際に勝った。だけどまだ信じられない」。最後まで興奮は冷めなかった。(文・武川玲子=米国在住)
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