昨年「日本女子オープン」、「JLPGAツアーチャンピオンシップリコーカップ」とメジャー2勝を挙げた原英莉花。“大器”と呼ばれ続けた黄金世代の一人が、その実力を証明する1年となった。そんな原は、ここまでどのようにゴルフ道を歩み、ツアーを代表する選手へと成長したのか? 21年シーズンの開始を前に、幼少期の話、クラブ契約を結ぶミズノとの関係性、そして現在の心境などを語ったロングインタビューをお届けする。前編はプロ転向までの道のりについて。
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3月4日のシーズン再開まで、あとわずかに迫った2月末。練習を終えた原がリモートインタビューを行うパソコンの画面に映し出された。普段、会場で見るのと変わらない、明るい表情は今年も健在。体調について聞くと、「グッドです!」という答えが屈託のない笑顔とともに返ってくる。飛躍の1年を終えてから2カ月を過ごした原に、まずはここまでのゴルフ人生について振り返ってもらった。
――小さい頃、特にゴルフを始める前はどんな子供だった?
よく“ませているね”って言われてました。けっこう家のなかで遊んでいることが多くて、外で遊ぶ時も、みんなと活発に…というよりは、一人で竹馬や一輪車を黙々とやっている。そういうのが好きでした
――ゴルフを始めたきっかけは?
10歳から始めました。もともと母は、体も大きくて背が高い私にスポーツをやらせたかったみたいなんですけど、何をやらせてもうまくいかない。それで『ゴルフならどうだろう』って、練習場に連れていってもらったのがきっかけでした。その時、1球目がクラブに当たって「楽しいな」って
――“スポーツ万能”というイメージがある
それがむしろ逆で、本当に(他の競技は)うまくいかなかったんです。兄は運動神経がバツグンなんですけど、私はまったくで、それが悔しかった。球技にも全然興味が湧かなかったんですけど、ゴルフでは1球目から当たって、すごくほめられたんです。それがうれしくて始めました
――そこから『もっとうまくなりたい』と思ったきっかけは?
11歳か12歳の頃に、いつも行っている練習場でガラガラ(クジ)が当たって初めて女子ゴルフを見にいったんです。CAT Ladiesだったんですけど、そこで上田桃子さんや横峯さくらさんのプレーを見て、『かっこいいな』って思ったんです。それがきっかけでした
――プロへの意識が出てきたのもそのタイミング?
そのあたりなんですけど、さらに火がついたできごとがあって。同じくらいの時期に出場した大会で、1つ年上の選手と回ったんですけど、その子がすっごい上手だった。私は100も切れないのに、相手は80台で回っていて。それを見て「私もこうなりたい!」と思って、その後の練習が変わりました
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中学校に入学後、すぐに出会ったのが現在契約を結ぶミズノのクラブだった。それ以来、原は同社のクラブを一貫して使用している。
――最初に使ったクラブ名は?
『MP CRAFT H4』というクラブでした。すごくドローボールを打ちたいと思っていた時期だったんですけど、これを使うと全然右にすっぽ抜けなかった。そんなこともあり中学1年生から、ずっとミズノさんのクラブを使ってますね。浮気もしてません(笑)。この頃は、学校に行く前に走って、帰ってきてから練習の毎日。全然上手じゃなかったんですけど、ただひたすらにゴルフが楽しくて練習していました
――当時と今を比べ、クラブに求めていることの違いは?
昔はやっぱり顔。顔がかっこいいものを選んでいました。あと、少し難しそうなクラブを打っていることがステータスじゃないですけど、好きでした。それを打てるように!って練習していましたね。でも今は結果を求めるし、自分が打ちたい球にいかに近いものを打てるかで選んでいます。考え方は大きく変わりました
――その変化はプロでの経験が大きい?
プロ1年目くらいまでは、まだ難しい、今のクラブとは全然違うものを使っていました。それだと、いいショットを打てた時、すごく打感が気持ちいい。でもミスの幅も大きかった。理想の球が出ないと、すぐに自分の粗探しを始めてしまったりして。そういう時にジャンボさんのアドバイスもあって、やさしいクラブを使うようになりました。再現性の高いスイングができるクラブを今は選んでいます
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神奈川県の湘南学院高に在学していた15歳の時に、ジャンボこと尾崎将司と出会い、弟子入り。その言葉に絶対の信頼を寄せ、プロ転向後、初めての賞金を手にした時も、それで師匠の家に時計を贈るなど、尊敬してやまない特別な人物というのは今も昔も変わらない。それ以前は無名のアマチュア選手の一人だったが、その指導のもとメキメキと上達。16年「リゾートトラスト レディス」でローアマに輝くなど、経験を積んだ。
――当時、畑岡奈紗プロら世代トップ選手たちのことをどう見ていた?
「なんでこんなスコアが出るんだろう?」って、そういう感想しかなかったですね。もう次元が違いすぎて、意識すらしないという感じ。ほんと、全然違いました
――その当時の思い出
小さい頃からの一つの目標が国体に出ること。神奈川県代表として選ばれるように、すごく頑張っていました。県内の試合ではポイントを積み重ねられるんですけど、関東の試合になると全然ダメ。一気にランキングを下げて、結局出られない…みたいな状態がずっと続いていました。ようやく高校3年生の時に出場できたんですけど、ずっと悔しい思いをしていました。常に上位にいることの大切は、そこですごく感じました
――クラブ面でも、やはり師匠の影響が大きい?
クラブに関して本当に無知だったんですけど、今は少しずつジャンボさんに聞いて、ミズノのクラフトマンさんにも教えてもらって、まだまだですけど少しずつ判断できるようにはなってきました。すごく勉強させてもらっています
■原英莉花(はら・えりか) 1999(平成11)年2月15日、神奈川県横浜市出身、22歳。10歳からゴルフを始める。 神奈川・湘南学院高在学時に尾崎将司のもとに弟子入り。2018年にQTを経てツアー本格参戦を果たし、同年初の賞金シードを獲得。19年「リゾートトラストレディス」で初優勝。昨年は「日本女子オープン」、「JLPGAツアーチャンピオンシップリコーカップ」で公式戦2冠を達成した。今季はここまで7072万2208円を稼ぎ、賞金ランク3位につけている。日本通運所属。クラブ契約はミズノ。173センチ、58キロ。
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